・・・ 信也氏はその顔を瞻って、黙然として聞いたというのである。「――苦もなく開いたわ。お前さん、中は土間で、腰掛なんか、台があって……一膳めし屋というのが、腰障子の字にも見えるほど、黒い森を、柳すかしに、青く、くぐって、月あかりが、水で・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ とばかりで、上目でじろりとお立合を見て、黙然として澄まし返る。 容体がさも、ものありげで、鶴の一声という趣。もがき騒いで呼立てない、非凡の見識おのずから顕れて、裡の面白さが思遣られる。 うかうかと入って見ると、こはいかに、と驚・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・何でも買いなの小父さんは、紺の筒袖を突張らかして懐手の黙然たるのみ。景気の好いのは、蜜垂じゃ蜜垂じゃと、菖蒲団子の附焼を、はたはたと煽いで呼ばるる。……毎年顔も店も馴染の連中、場末から出る際商人。丹波鬼灯、海酸漿は手水鉢の傍、大きな百日紅の・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・の煤けた洋燈の下に、膳を引いた跡を、直ぐ長火鉢の向うの細工場に立ちもせず、袖に継のあたった、黒のごろの半襟の破れた、千草色の半纏の片手を懐に、膝を立てて、それへ頬杖ついて、面長な思案顔を重そうに支えて黙然。 ちょっと取着端がないから、・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・当所もなく室の一方を見詰めたるまま、黙然として物思えり。渠が書斎の椽前には、一個数寄を尽したる鳥籠を懸けたる中に、一羽の純白なる鸚鵡あり、餌を啄むにも飽きたりけむ、もの淋しげに謙三郎の後姿を見遣りつつ、頭を左右に傾けおれり。一室寂たることし・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ さっきから黙然として、ただ打頷いておりました小宮山は、何と思いましたか力強く、あたかも虎を搏にするがごとき意気込で、蒲団の端を景気よくとんと打って、むくむくと身を起し、さも勇ましい顔で、莞爾と笑いまして、「訳はない。姉さん、何の事・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 往々雨の丘より丘に移るに当たりて、あるいは近くあるいは遠く、あるいは幽くあるいは明らかに、というもまた全く同じである、もしそれ雲霧を説いて あるいは黙然遊動して谷より谷に移るもの、往々にして動かざる自然を動かし、変・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ 曲終れば、音を売るものの常として必ず笑み、必ず謙遜の言葉の二三を吐くなるに反して、彼は黙然として控え、今しもわが吹き終った音の虚空に消えゆく、消えゆきし、そのあとを逐うかと思わるるばかりであった。 自分は彼の言葉つき、その態度によ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・と不足らしい顔つきして女を見送りしが、何が眼につきしや急にショゲて黙然になって抽斗を開け、小刀と鰹節とを取り出したる男は、鰹節の亀節という小きものなるを見て、「ケチびんなものを買っときあがる。と独言しつつそこらを見廻して、やがて・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・……黙然として居らるるは……」「不承知と申したら何となさる。」「ナニ。いや、不承知と申さるる筈はござるまい。と存じてこそ是の如く物を申したれ。真実、たって御不承知か。」「臙脂屋を捻り潰しなさらねばなりますまいがノ。貴殿の御存じ寄・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
出典:青空文庫