縁日 柳行李 橋ぞろえ 題目船 衣の雫 浅緑記念ながらと散って、川面で消えたのが二ツ三ツ、不意に南京花火を揚げたのは寝ていたかの男である。 斉しく左右へ退いて、呆気に取られた連の両人を顧みて・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ もう畳を上げた方がよいでしょう、と妻や大きい子供らは騒ぐ。牛舎へも水が入りましたと若い衆も訴えて来た。 最も臆病に、最も内心に恐れておった自分も、側から騒がれると、妙に反撥心が起る。殊更に落ちついてる風をして、何ほど増して来たとこ・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ 椿岳の画は今の展覧会の絵具の分量を競争するようにゴテゴテ盛上げた画とは本質的に大に違っておる。大抵は悪紙に描きなぐった泥画であるゆえ、田舎のお大尽や成金やお大名の座敷の床の間を飾るには不向きであるが、悪紙悪墨の中に燦めく奔放無礙の稀有・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・が、幕府が瓦解し時勢が一変し、順風に帆を揚げたような伊藤の運勢が下り坂に向ったのを看取すると、天性の覇気が脱線して桁を外れた変態生活に横流した。椿岳の生活の理想は俗世間に凱歌を挙げて豪奢に傲る乎、でなければ俗世間に拗ねて愚弄する乎、二つの路・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・三日に揚げずに来るのに毎次でも下宿の不味いものでもあるまいと、何処かへ食べに行かないかと誘うと、鳥は浜町の筑紫でなけりゃア喰えんの、天麩羅は横山町の丸新でなけりゃア駄目だのと、ツイ近所で間に合わすという事が出来なかった。家の惣菜なら不味くて・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ こう、お母さまがいわれたときに、のぶ子は思わず、目を上げて、空の、かなたを見るようにいたしました。「ほんとうに、いま、そのお姉さんがおいでたなら、どんなにわたしはしあわせであろう。」と、のぶ子は、はかない空想にふけったのであります・・・ 小川未明 「青い花の香り」
・・・海から吹き揚げる風が肌寒い。 こうなると、人間というものは妙に引け身になるもので、いつまでも一所にいると、何だか人に怪まれそうで気が尤める。で、私は見たくもない寺や社や、名ある建物などあちこち見て廻ったが、そのうちに足は疲れる。それに大・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・男は徳利を取り揚げて、「さあ、熱いのが来たから、一つ注ごう」 女も今度は素直に盃を受けて、「そうですか、じゃ一つ頂戴しましょう。チョンボリ、ほんの真似だけにしといておくんなさいよ」「何だい卑怯なことを、お前も父の子じゃねえか」「・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 男はキュウと盃を干して、「さあお光さん、一つ上げよう」「まあ私は……それよりもお酌しましょう」「おっと、零れる零れる。何しろこうしてお光さんのお酌で飲むのも三年振りだからな。あれはいつだったっけ、何でも俺が船へ乗り込む二三日前・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・水で、最早如何することも出来ない、車屋と思ったが、あたりには、人の影もない、橋の上も一尺ばかり水が出て、濁水がゴーゴーという音を立てて、隅田川の方へ流込んでいる、致方がないので、衣服の裾を、思うさま絡上げて、何しろこの急流故、流されては一大・・・ 小山内薫 「今戸狐」
出典:青空文庫