・・・俺はまるで悪い暗示にかかってしまったように白じらとなってしまう。崖の上の陶酔のたとえ十分の一でも、何故彼女に対するとき帰って来ないのか。俺は俺のそうしたものを窓のなかへ吸いとられているのではなかろうか。そういう形式でしか性欲に耽ることができ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・そしてそれの暗示する言語が東京のそれでもなく、どこのそれでもなく、故郷の然も私の家族固有なアクセントであることを知りました。――おそらく私は一生懸命になっていたのでしょう。そうした心の純粋さがとうとう私をしてお里を出さしめたのだろうと思いま・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・』『おかしな人だ人に心配させて』とお絹は笑うて済ますをお常は『イヤ何か吉さんは案じていなさるようだ。』『吉さんだって少しは案じ事もあろうよ、案じ事のないものは馬鹿と馬鹿だというから。』『まだある若旦那』と小さな声で言うお常も・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・そのもの案じがおなる蒼き色、この夜は頬のあたりすこし赤らみておりおりいずこともなくみつむるまなざし、霧に包まれしある物を定かに視んと願うがごとし。 霧のうちには一人の翁立ちたり。 教師は筆おきて読みかえしぬ。読みかえして目を閉じたり・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・しかし一度視角を転じて、ニイチェ的な暗示と、力調とのある直観的把握と高貴の徳との支配する世界に立つならば、日蓮のドグマと、矜恃と、ある意味で偏執狂的な態度とは興味津々たるものがあるのである。われわれは予言者に科学者の態度を要求してはならない・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・彼は親爺と妹の身の上を案じた。 翌朝、村へ帰ると親爺は逃げおくれて、家畜小屋の前で死骸となっていた。胸から背にまでぐさりと銃剣を突きさされていた。動物が巣にいる幼い子供を可愛がるように、家畜を可愛がっていたあの温しい眼は、今は、白く、何・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・心でそれを案じた。そして、なま/\しい傷を持って新しく這入って来た者に、知らず識らず競争と反感の爪をといだ。「どこをやられたんだ? どんなんだ?」 頭を十文字に繃帯している三中隊の男が、疚しさを持った眼で、まだ軍医の手あてを受けない・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・しかし、そこからさえ、ある暗示を感じずにはいられなかった。 親爺は、やはりちびり/\土地を買い集めていた。土地は値打がさがった。自作農で破産をする人間、誰れもかれも街へ出て作り手がなく売りに出す人間、伊三郎が、又、息子の学資に畠の一部を・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・むしろ、これらの作家の小説と並んでその傍に、二、三行で報道されている、××の仕打ちに憤慨して銃を自分の口にあてゝ足で引金を踏んで自殺したという兵卒の記事の方が、はるかに深い暗示に富んでいる。 ただ、ブルジョアジーが、その最初の戦争からし・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・内の人の身分が好くなり、交際が上って来るにつけ、わたしが足らぬ、つり合い足らぬと他の人達に思われ云われはせぬかという女気の案じがなくも無いので、自分の事かしらんとまたちょっと疑ったが、どうもそうでも無いらしい。 定まって晩酌を取るという・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
出典:青空文庫