・・・門衛がいるが、一向意地わるそうでもないし、うたぐり深い目つきもしていない。「受付はどこでしょう」と私がきいたら『プラウダ』をよみかけていたままの手をうごかして、「ずっと真直入って行くと右側に二つ戸がある、先の方のドアですよ」・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・ 気味が悪いから鶏に投げてやると黄いコーチンが一口でたべて仕舞う。 又する事がなくなると、気がイライラして来る。 隣りの子供が三人大立廻りをして声をそろえて泣き出す。 私も一緒にああやって泣きたい。 声を出そうかと思って・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・千葉のファシスト組織のことが一行でもかかれた新聞があったでしょうか。わたしたち人民の判断を、公平で、明朗で、正確なものにするためになくてはならない現実の材料を奪うために、政府はどんな手段をとってきているかが分ります。 ファシズムに対する・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・ 自分は、一口に云えない感情で輝く海のおもてを見た。 СССРの、ほんとの端っぽが、ここだ。 モスクワからウラジヴォストクまで九千二百三十五キロメートル。ソヴェトは五ヵ年計画でここに新たな大製麻工場を建てようとしている。同時に、・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ 現代の世相に対してこのような自分の立場からの怒りだけを感じ、それを肯定して生活することは、人間としての心のゆたかさの点から一考されてよいでしょう。 刻々と生活が変化する今日の時代の若い婦人は、自分の損得から一歩出て人間社会の動きを・・・ 宮本百合子 「新女性のルポルタージュより」
・・・ 私は、良人の学業を信頼し、科学性の常識化を翹望するよき数人の夫人達が、科学の科学性を十分発揮し得る社会とは、どのような社会であるかということについて、優しい心で真面目に一考されることを切望するのである。〔一九三五年五月〕・・・ 宮本百合子 「花のたより」
・・・私たちの常識は、一考して深く頷くところがある。日本の家族制度、財産の相続を眼目にした親子関係の見方においては、嫡出子と庶子、私生子の区別は非常に厳重で、生まれた子供は天下の子供であるという人間らしい自由さを欠いている。けれども、戦争が進行し・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ はじめ投書した某氏は男で某紙の家庭欄に紹介されている代用食の製法にしたがってためしてみたらたいへんどっさり砂糖がいった、砂糖の不足がちな現在ああいう代用食は実際的でないから一考を要するという意見であった。するとそれに対し某夫人が署名入・・・ 宮本百合子 「私の感想」
・・・ 役所では人の手間取のような、精神のないような、附けたりのような為事をしていて、もう頭が禿げ掛かっても、まだ一向幅が利かないのだが、文学者としては多少人に知られている。ろくな物も書いていないのに、人に知られている。啻に知られているばかり・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・そこで一行は先ず高崎と云う俵をほどいて見ることにした。 高崎では踪跡が知れぬので、前橋へ出た。ここには榎町の政淳寺に山本家の先祖の墓がある。九郎右衛門等はそれに参って成功を祈った。そこから藤岡に出て、五六日いた。そこから武蔵国の境を越し・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫