・・・ 僕だって金持という訳ではないんだからね、そうは続かないしね。一体君はどうご自分の生活というものを考えて居るのか、僕にはさっぱり見当が附かない」「僕にも解らない……」「君にも解らないじゃ、仕様が無いね。で、一体君は、そうしていて些と・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ この辺一帯に襲われているという毒蛾を捕える大篝火が、対岸の河原に焚かれて、焔が紅く川波に映っていた。そうしたものを眺めたりして、私たちはいつまでしても酔の発してこない盃を重ねていた。・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・そして筧といえばやはりあたりと一帯の古び朽ちたものをその間に横たえているに過ぎないのだった。「そのなかからだ」と私の理性が信じていても、澄み透った水音にしばらく耳を傾けていると、聴覚と視覚との統一はすぐばらばらになってしまって、変な錯誤の感・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・ 灰色の雲が空一帯を罩めていた。それはずっと奥深くも見え、また地上低く垂れ下がっているようにも思えた。 あたりのものはみな光を失って静まっていた。ただ遠い病院の避雷針だけが、どうしたはずみか白く光って見える。 原っぱのなかで子供・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・その何年を経たとも知れない樹は見わたしたところ一番大きな見事なながめです。一体椎という樹は梅雨期に葉が赤くなるものなのでしょうか。最初はなにか夕焼の反射をでも受けているのじゃないかなど疑いました。そんな赤さなのです。然し雨の日になってもそれ・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・これからは私アもう、父様のおっしゃったことを真実にしないからようござんす。一体父様は私をそんなに可愛がって下さらないわ。それだからこの間家にいた時も、私を出し抜いてお芝居へいらしったんだわ。私は大変に恨むからいい。 はて恐いな。お前に恨・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・『一体どうしたのだ』と私も事の様子があんまり妙なので問いかけました。しますると武がどもりながらこういうのでございます。妹が是非あなたに遇わしてくれと言って聞かない、いろいろ言い聞かしたがどうしても承知しない、それだからあなたを欺して連れ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・振り向いて西の空を仰ぐと阿蘇の分派の一峰の右に新月がこの窪地一帯の村落を我物顔に澄んで蒼味がかった水のような光を放っている。二人は気がついてすぐ頭の上を仰ぐと、昼間は真っ白に立ちのぼる噴煙が月の光を受けて灰色に染まって碧瑠璃の大空を衝いてい・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・彼女たちは一体何ものだ。自然から美しく創りなされて、自分たちを誘うような、少なくとも待ってるように見えるこの人間群は。 彼女たちは自分たちよりつつましく、優美に造られているようである。粗暴と邪悪とを知らぬかのようだ。自分たちより脆くでき・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・関東一帯には天変地妖しきりに起こり出した。正嘉元年大地震。同二年大風。同三年大飢饉。正元元年より二年にかけては大疫病流行し、「四季に亙つて已まず、万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。日蓮世間の体を見て、粗一切経を勘ふるに、道理文証之を得了ん・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
出典:青空文庫