・・・「じゃ明日いらっしゃい。それまでに占って置いて上げますから」「そうか。じゃ間違いのないように、――」 印度人の婆さんは、得意そうに胸を反らせました。「私の占いは五十年来、一度も外れたことはないのですよ。何しろ私のはアグニの神・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・あの墓原の松のかげに、眠っていらっしゃる御両親は、天主のおん教も御存知なし、きっと今頃はいんへるのに、お堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいその門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。わたしはやはり地獄の底・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・兄さんと遊ばずに婆やのそばにいらっしゃい。いやな兄さんだこと」 といって僕が大急ぎで一かたまりに集めた碁石の所に手を出して一掴み掴もうとした。僕は大急ぎで両手で蓋をしたけれども、婆やはかまわずに少しばかり石を拾って婆やの坐っている所に持・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・王子はだまったままで下を向いて聞いていらっしゃいます。やがて花よめ花むこが騎馬でお寺に乗りつけてたいそうさかんな式がありました。その花むこの雄々しかった事、花よめの美しかった事は燕の早口でも申しつくせませんかった。 天気のよい秋びよりは・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・百合、撫子などの造花に、碧紫の電燈が燦然と輝いて――いらっしゃい――受附でも出張っている事、と心得違いをしていたので。 どうやら、これだと、見た処、会が済んだあとのように思われる。 ――まさか、十時、まだ五分前だ―― 立っていて・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ はじめ、停車場から俥を二台で乗着けた時、帳場の若いものが、「いらっしゃい、どうぞこちらへ。」 で、上靴を穿かせて、つるつるする広い取着の二階へ導いたのであるが、そこから、も一ツつかつかと階子段を上って行くので、連の男は一段踏掛・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・「お二人でいらっしゃいますの……そりゃまあ」 女中は茶を注ぎながら、横目を働かして、おとよの容姿をみる。おとよは女中には目もくれず、甲斐絹裏の、しゃらしゃらする羽織をとって省作に着せる。省作が下手に羽織の紐を結べば、おとよは物も言わ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・とか、「またいらっしゃい」とか、そういうことを専門に教えてくれろと言うのであった。僕は好ましくなかったが、仕事のあいまに教えてやるのも面白いと思って、会話の目録を作らして、そのうちを少しずつと、二人がほかで習って来るナショナル読本の一と二と・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 先生は、年子がゆく時間になると、学校の裏門のところで、じっと一筋道をながめて立っていらっしゃいました。秋のころには、そこに植わっている桜の木が、黄色になって、はらはらと葉がちりかかりました。そして、年子は、先生の姿を見つけると、ご本の・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・「番茶がよく出たから、熱いお茶を飲んでいらっしゃい。体が、あたたかになるから。」と、お母さんは、吉雄の、ご飯が終わるころにいわれました。 吉雄は、お母さんのいわれたように、いたしました。すると、ちょうど、汽車の汽罐車に石炭をいれたよ・・・ 小川未明 「ある日の先生と子供」
出典:青空文庫