・・・ 板倉周防守、同式部、同佐渡守、酒井左衛門尉、松平右近将監等の一族縁者が、遠慮を仰せつかったのは云うまでもない。そのほか、越中守を見捨てて逃げた黒木閑斎は、扶持を召上げられた上、追放になった。 ―――――――――――・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・すると窓から流れこんだ春風が、その一枚のレタア・ペエパアを飜して、鬱金木綿の蔽いをかけた鏡が二つ並んでいる梯子段の下まで吹き落してしまった。下にいる女髪結は、頻々としてお君さんの手に落ちる艶書のある事を心得ている。だからこの桃色をした紙も、・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・時しも、鬱金木綿が薄よごれて、しなびた包、おちへ来て一霜くらった、大角豆のようなのを嬉しそうに開けて、一粒々々、根附だ、玉だ、緒〆だと、むかしから伝われば、道楽でためた秘蔵の小まものを並べて楽しむ処へ――それ、しも手から、しゃっぽで、袴で、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・墨染の麻の法衣の破れ破れな形で、鬱金ももう鼠に汚れた布に――すぐ、分ったが、――三味線を一挺、盲目の琵琶背負に背負っている、漂泊う門附の類であろう。 何をか働く。人目を避けて、蹲って、虱を捻るか、瘡を掻くか、弁当を使うとも、掃溜を探した・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 商売冥利、渡世は出来るもの、商はするもので、五布ばかりの鬱金の風呂敷一枚の店に、襦袢の数々。赤坂だったら奴の肌脱、四谷じゃ六方を蹈みそうな、けばけばしい胴、派手な袖。男もので手さえ通せばそこから着て行かれるまでにして、正札が品により、・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・茜の姉も三四人、鬱金の婆様に、菜畠の阿媽も交って、どれも口を開けていた。 が、あ、と押魂消て、ばらりと退くと、そこの横手の開戸口から、艶麗なのが、すうと出た。 本堂へ詣ったのが、一廻りして、一帆の前に顕われたのである。 すぼめた・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・と、自分は彼女のニコニコした顔と紅い模様や鬱金色の小ぎれと見較べて、擽ったい気持を感じさせられた。「ほんとに安いものね。六円いくらでみんな揃うんだから……」 自分はクルリと寝返りを打ったが、そっと口の中で苦笑を噛み潰した。 六円・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・そう言えば前にも今度と同じような鬱金木綿の袋へ何かはいって来た事も思い出したが、あいにくそれがどちらの姉だったか思い出せなかった。 あて名の手跡は二人の姉のとはまるでちがっていた。しかし、二人ともにそうだが、ことにK市の姉はよく孫のだれ・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・芸者が弘めをする時の手拭の包紙で腰張した壁の上には鬱金の包みを着た三味線が二梃かけてある。大きな如輪の長火鉢の傍にはきまって猫が寝ている。襖を越した次の座敷には薄暗い上にも更に薄暗い床の間に、極彩色の豊国の女姿が、石州流の生花のかげから、過・・・ 永井荷風 「妾宅」
八月の稲妻 読みたいと思う雑誌が手元にないので、それを買いがてら下町へ出た。町角と云わず、ふだんは似顔描きが佇んでいるようなところにまで女や男のひとたちが、鬱金の布に朱でマルを印したものと赤糸とをもっ・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫