・・・それが産み日に近い彼女には裾がはだけ勝ちなくらいだ。「今日はひょっとしたら大槻の下宿へ寄るかもしれない。家捜しが手間どったら寄らずに帰る」切り取った回数券はじかに細君の手へ渡してやりながら、彼は六ヶ敷い顔でそう言った。「ここだった」・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・時代が人物を生み、人物が時代を作るという言葉があるが、かれは明治の時代を作るために幾分の力を奮った男であって、それでついにこの時代の精神に触れず、この時代の空気を呼吸していながら今をののしり昔を誇り、当代の豪傑を小供呼ばわりにしてひそかに快・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・生産関係はそれに内存する必然法則により発展して最後に幸福な社会を産み出す力があるとする。ブルジョア社会の道徳はその階級にのみ妥当するもの故これを忌避し、階級闘争をなさねばならぬ。それ以外の社会改良、労資協調的温情はかえって、理想社会の到達を・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・むしろさかんな注文を出して、立派な、特色のある娘たちを産み出してもらいたいものだ。 イギリスの貴族の青年は祖国の難のあるとき、ぐずぐずしていると、令嬢たちに卑怯を軽蔑されるので、勇んで戦線におもむくといわれている。おどらぬ男には嫁に行か・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・財産も、店の品物も、着物も、道具も――一切のものを失った今となって見ると、年老いたお三輪が自分の心を支える唯一つの柱と頼むものは、あの生みの母より外になかった。 生きている人にでも相談するように、お三輪はこの母の前に自分を持って行って見・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・私もやせ我慢にやせ我慢を重ねていたが、親子四人に女中を一人置いて、毎月六七十円の生活費を産み出すにすら骨が折れた。そのころの私たちは十六円の家賃の家で辛抱したが、それすら高過ぎると思ったくらいだ。 三年の外国の旅も、私の生涯の中でのさび・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・あれ、これと文学の敵を想定してみるのだが、考えてみると、すべてそれは、芸術を生み、成長させ、昇華させる有難い母体であった。やり切れない話である。なんの不平も言えなくなった。私は貧しい悪作家であるが、けれども、やはり第一等の道を歩きたい。つね・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・よそに嫁いで居る姉が、私の一度ならず二度三度の醜態のために、その嫁いで居る家のものたちに顔むけができずに夜々、泣いて私をうらんでいるということや、私の生みの老母が、私あるがために、亡父の跡を嗣いで居る私の長兄に対して、ことごとく面目を失い、・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・マチスを生みドビュシーを生んだこの国はやがて映画の上にも新鮮な何物かを生み出しそうな気がする。アヴァンガルドというのは未見であるが、ともかくもわれわれはフランス映画の将来にある期待をかけてもいいように思われる。 われらの祖先にも、少なく・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・しかしこれらは科学の産み出した生産物であって学そのものとは区別さるべきものであろう。また通俗科学雑誌のページと口絵をにぎわすものの大部分は科学的商品の引き札であったり、科学界の三面記事のごときものである。人間霊知の作品としての「学」の一部を・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫