・・・と立ったり、居たり、歩行いたり、果は胡坐かいて能代の膳の低いのを、毛脛へ引挟むがごとくにして、紫蘇の実に糖蝦の塩辛、畳み鰯を小皿にならべて菜ッ葉の漬物堆く、白々と立つ粥の湯気の中に、真赤な顔をして、熱いのを、大きな五郎八茶碗でさらさらと掻食・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 大な蝦蟆とでもあろう事か、革鞄の吐出した第一幕が、旅行案内ばかりでは桟敷で飲むような気はしない、が蓋しそれは僭上の沙汰で。「まず、飲もう。」 その気で、席へ腰を掛直すと、口を抜こうとした酒の香より、はッと面を打った、懐しく床し・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・「――いり海老のような顔をして、赤目張るの――」「――さてさて憎いやつの――」 相当の役者と見える。声が玄関までよく通って、その間に見物の笑声が、どッと響いた。「さあ、こちらへどうぞ、」「憚り様。」 階子段は広い。―・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・初の烏、また、旅行用手提げの中より、葡萄酒の瓶を取出だし卓子の上に置く。後の烏等、青き酒、赤き酒の瓶、続いてコップを取出だして並べ揃う。やがて、初の烏、一挺の蝋燭を取って、これに火を点ず。舞台明くなる。初の烏 (思い着き・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・東に向けて臥床設けし、枕頭なる皿のなかに、蜜柑と熟したる葡萄と装りたり。枕をば高くしつ。病める人は頭埋めて、小やかにぞ臥したりける。 思いしよりなお瘠せたり。頬のあたり太く細りぬ。真白うて玉なす顔、両の瞼に血の色染めて、うつくしさ、気高・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・頭を曲げ手足を縮め海老のごとき状態に困臥しながら、なお気安く心地爽かに眠り得た。数日来の苦悩は跡形も無く消え去った。ために体内新たな活動力を得たごとくに思われたのである。 実際の状況はと見れば、僅かに人畜の生命を保ち得たのに過ぎないので・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・あらア野葡萄があった」 僕は水を汲んでの帰りに、水筒は腰に結いつけ、あたりを少し許り探って、『あけび』四五十と野葡萄一もくさを採り、竜胆の花の美しいのを五六本見つけて帰ってきた。帰りは下りだから無造作に二人で降りる。畑へ出口で僕は春蘭の・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・格好のよい肩に何かしらぬ海老色の襷をかけ、白地の手拭を日よけにかぶった、顋のあたりの美しさ。美しい人の憂えてる顔はかわいそうでたまらないものである。「おとよさんおとよさん」 呼ぶのは嫂お千代だ。おとよは返辞をしない。しないのではない・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・そのたびに、果物店には、赤い帯が見えて、娘が葡萄や、林檎を買っていたり、また絵はがきを選んでいるのを見て、よくはやる家だと思わぬことはなかった。 四日目である。 真昼の空はからりと晴れて、曇がなかった。日は紅く、河原や、温泉場を照ら・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
・・・握飯でもいい、午は米粒にありつきたいのだが、蝦蟇口にはもう二銭銅貨一枚しか残っていない。 私はそこの海岸通りへ出た。海から細く入江になっていて、伝馬や艀がひしひしと舳を並べた。小揚人足が賑かな節を合せて、船から米俵のような物を河岸倉へ運・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫