・・・若しこの社会の有力なる識者が、真に母が子供に対する如き無窮の愛と、厳粛さとを有って行うのであれば宜しいけれども、そうでないならば寧ろ自然の儘に放任して置くに如かぬ、彼等の多くは愛を誤解している。 茲に苦しんでいる人間があるとする。それを・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・と、かわいらしい、ほんとうに心からやさしい声を出して、小さな手を出して招くのでした。 子供にとって、木の葉も、草も、小石も、鶏も、小犬もみんな友だちであったのです。その父親は、手間がとれても、子供の気の向くままにまかせて、ぼんやり立ち止・・・ 小川未明 「幾年もたった後」
・・・そして寝床の中で腹巻の銭をチャラチャラいわせていたが、「阿母、おい、ここへ置くよ。今夜のを。」と枕元へ銅貨の音をさせた。 私は悸とした。 すると、案のごとく、上さんはそれを受取ると、今度は薄暗いランプの火影で透しながら、私の枕元・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・凶のおみくじをひいたときは、その隙間へおみくじを縛りつけて置く。すると、まんまと凶を転じて吉とすることが出来る。「どうか吉にしたっとくなはれ」 祈る女の前に賽銭箱、頭の上に奉納提灯、そして線香のにおいが愚かな女の心を、女の顔を安らか・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・』と泣声を振わして言いますから、『そういうことなら投擲って置く訳に行かない。』と僕はいきなり母の居間に突入しました。里子は止める間もなかったので僕に続いて部屋に入ったのです。僕は母の前に座るや、『貴女は私を離婚すると里子に言ったそうです・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・ げに見るに忍びざりき、されど彼女自ら招く報酬なるをいかにせん、わがこの言葉は二郎のよろこぶところにあらず。 二郎、君は報酬と言うや、何の報酬ぞ。 われ、人の愛を盗みし報酬なり。 二郎はしばし黙して月を仰ぎつ、前なる杯を挙げ・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・夢に天津乙女の額に紅の星戴けるが現われて、言葉なく打ち招くままに誘われて丘にのぼれば、乙女は寄りそいて私語くよう、君は恋を望みたもうか、はた自由を願いたもうかと問うに、自由の血は恋、恋の翼は自由なれば、われその一を欠く事を願わずと答う、乙女・・・ 国木田独歩 「星」
・・・それで、二年分もあるのだが、自分の家に焚きものとするとて、畠のつゞきの荒らした所へ高く積み重ねて、腐らないように屋根を作りつけて、かこって置くのだ。「よいしょ。」「よい来た。」「よいしょ。」「よい来た。」 宗保は、ねそを・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・ 主客の間にこんな挨拶が交されたが、客は大きな茶碗の番茶をいかにもゆっくりと飲乾す、その間主人の方を見ていたが、茶碗を下へ置くと、「君は今日最初辞退をしたネ。」と軽く話し出した。「エエ。」と主人は答えた。「なぜネ。」・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・れど、片道一里もあるところをたった二合ずつ買いに遣されて、そして気むずかしい日にあ、こんなに量りが悪いはずはねえ、大方途中で飲んだろう、道理で顔が赤いようだなんて無理を云って打撲るんだもの、ほんとに口措くってなりやしない。」「ほんとに嫌・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
出典:青空文庫