・・・………… 鎌倉。 陳彩の家の客間にも、レエスの窓掛けを垂れた窓の内には、晩夏の日の暮が近づいて来た。しかし日の光は消えたものの、窓掛けの向うに煙っている、まだ花盛りの夾竹桃は、この涼しそうな部屋の空気に、快い明るさを漂わしていた・・・ 芥川竜之介 「影」
これは自分より二三年前に、大学の史学科を卒業した本間さんの話である。本間さんが維新史に関する、二三興味ある論文の著者だと云う事は、知っている人も多いであろう。僕は昨年の冬鎌倉へ転居する、丁度一週間ばかり前に、本間さんと一し・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・、言った通り、城下から海岸の港へ通る二里余りの並木の途中、ちょうど真中処に、昔から伝説を持った大な一面の石がある――義経記に、……加賀国富樫と言う所も近くなり、富樫の介と申すは当国の大名なり、鎌倉殿より仰は蒙らねども、内々用心して判・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・一度、二度と間を置くうち、去年七月の末から、梅水が……これも近頃各所で行われる……近くは鎌倉、熱海。また軽井沢などへ夏季の出店をする。いやどこも不景気で、大したほまちにはならないそうだけれど、差引一ぱいに行けば、家族が、一夏避暑をする儲けが・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ あるいは鎌倉武士以来の関東武士の蛮性が、今なお自分の骨髄に遺伝してしかるものか。 破壊後の生活は、総ての事が混乱している。思慮も考察も混乱している。精神の一張一緩ももとより混乱を免れない。 自分は一日大道を闊歩しつつ、突然とし・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・就中椿岳が常住起居した四畳半の壁に嵌込んだ化粧窓は蛙股の古材を両断して合掌に組合わしたのを外框とした火燈型で、木目を洗出された時代の錆のある板扉の中央に取附けた鎌倉時代の鉄の鰕錠が頗る椿岳気分を漂わしていた。更にヨリ一層椿岳の個性を発揮した・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その前月おせいは一度鎌倉へつれ帰されたのだが、すぐまた逃げだしてき、その解決方に自分から鎌倉に出向いて行ったところ、酒を飲んでおせいの老父とちょっとした立廻りを演じ、それが東京や地方の新聞におおげさに書きたてられて一カ月と経っていない場合だ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・半僧坊のおみくじでは、前途成好事――云々とあったが、あの際大吉は凶にかえるとあの茶店の別ピンさんが口にしたと思いますが、鎌倉から東京へ帰り、間もなく帰郷して例の関係事業に努力を傾注したのでしたが、慣れぬ商法の失敗がちで、つい情にひかされやす・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
一 秋の中過、冬近くなると何れの海浜を問ず、大方は淋れて来る、鎌倉も其通りで、自分のように年中住んで居る者の外は、浜へ出て見ても、里の子、浦の子、地曳網の男、或は浜づたいに往通う行商を見るばかり、都人士ら・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・かの君、大磯に一泊して明日は鎌倉まで引っ返しかしこにて両三日遊びたき願いに候えど――。われ、そは御楽しみの事なるべし、大磯鎌倉は始めてのお越しにや。かの君さりげなく、妹には始めての遊びになん。ああこの時、わが目と二郎の目とは電のごとく貴嬢が・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
出典:青空文庫