・・・そして、憐れな魂は、暗澹たる故郷への郷愁と、懣怨と、一層深入りした我執との裡に転々して、呪を発するのでございます。彼等の最終の呪文は、我国古来の美風を忘れて、徒に浮薄な米国婦人等に其の範をとるのは杞うべき事、恥ずべき事である、と云うのに終り・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・のような成功した例外のほかの多くの和田の作品は、その農民心理が我執とか所有欲などを本能にまで還元された上で、その葛藤を特定の条件によって設定して、その筋の上に発展させられている。なお、考えさせられることは、作者の人間に対して抱いている観念そ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・私の父は建築家であったからいろんな画集をもっていた。折々静かな部屋でそれをくって見るのがいい心持であったが、その中に一枚、少女が裸で水盤のわきにあっち向きに坐って片手をのばして水盤の水とたわむれ遊んでいる絵があった。丁度自分と同じぐらいの年・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・それは、自己完成の願望の純粋な発露と、保身的な我執との間を、自身にたいしてきびしく区別しようとしていることです。これは、関心をひかれる点です。『近代文学』の個の主張傾向のうちには、この大切な鋭さ、この感覚が全然欠けていて、目が内に向っていず・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・は、今日世界名画集からはとりのぞくことのできないリアリスティックな傑作の一つとなっているのであるが、マリアが数点の絵とともに後世にのこした独特な日記は、マリアの死後一年に、小説家アンドレ・チェリエによって整理出版された。それ以来、英米訳が出・・・ 宮本百合子 「マリア・バシュキルツェフの日記」
昔から女にもとめられている日常の美徳の一つに、ものわかりのよさ、ということがある。 とかく女が狭い生活にとじこめられていたために、人生の視野がせばまって、我執だの偏執だのが女につきものの気質のように見られた一方の、その・・・ 宮本百合子 「ものわかりよさ」
・・・著者が一人旅の心を説くのも、我執に徹することによって我から脱却し、自然に遊ぶ境地に至らんがためであった。ただ我執の立場にとどまる旅行記からは、我々は何の感銘も受けることができない。脱我の立場において異境の風物が語られるとき、我々はしばしば驚・・・ 和辻哲郎 「『青丘雑記』を読む」
出典:青空文庫