・・・一九四九年に、この近代擬装エナメルの色どりはげしいギラギラした流れの勢が、どのように猛烈であったかについて『人間』十二月号の丸山真男・高見順対談の中で、高見順が次のように云っている。「芸術家の方も自重しませんと……。終戦後のわれわれの恥・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・を与えられた石川達三、高見順、石川淳、太宰治、衣巻省三その他多くの作家が、言葉どおりの意味での新進ではなく、過去数年の間沈滞して移動の少なかった純文学既成作家に場面を占められて作品発表の機会を十分持ち得ないでいた人々であり、長年の文学修業と・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ これらのことが心にひっかかって来るというのも先頃高見順氏が獅子と鼠との喩えばなしで非力なるものとしての文学の力ということを書いて、一般に反響をもった、そのことと自然連関しているのだと思う。 今日私たちは何故、文学を別の何かと比・・・ 宮本百合子 「作品の主人公と心理の翳」
・・・ この間高見順氏が文学は非力なものではあるがと、獅子と鼠とのたとえ話で非力なもののおのずからな力を語っていられた。 しかし、今日私たちが文学を語る時、どうして、一応は文学とはちがうものの強力との比較の上で非力なるものとしての文学とし・・・ 宮本百合子 「実感への求め」
・・・ 現代のヒューマニズムは頽廃の中にあるとする高見順は、「描写のうしろに寝ていられない」という自身の理解から「十九世紀的な客観小説の伝統なり約束なりに不満が生じた以上は、小説というものの核心である描写も平和を失った。」と説話体の手法をもっ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 文学の世代的な性格に即して云えば、石川達三、丹羽文雄、高見順などという諸作家が新進として登場した当時、一時代前の新進は女に捨てられたり失恋したりして小説をかいて来ていたものだが、現代の新人は反対に女を足場にして登場した、ということが云・・・ 宮本百合子 「職業のふしぎ」
・・・恐らく日に幾人となく、そういう女や男に会う×は、十人が九人迄にそうやって、出世祝いの護符のような文句を与えているのだろう。効験をためすのは将来のことだ。今、彼女が必要なのは明日から住居と食物を与える職業だ。言葉数をきかないが、千鶴子が心でど・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・ 夫婦の間の財産処理について、また子供らの後見者として妻、母の権限がひろくなろうとしている。孤独な母、妻である多くの婦人は、これによっていくらか家族の間における立場を改善されるであろう。しかし、財産とは、今日、何であるだろう。金とは? ・・・ 宮本百合子 「世界の寡婦」
・・・青森の大金持の男、信者、娘一人、後とりの後見もして欲しいから学問があって、人物の出来た人、 そこで、結婚ブローカーがあって、「それじゃいい人がありますっていうんですね、司教の息子それじゃ立派なもんだろうって云うんで先は承諾。親父は職・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・その代表的なのが、高見順の「わが胸の底のここには」という『新潮』に連載されている作品です。文学好きというような人には、そうとう読まれていると思う。 この「わが胸の底のここには」という題は、藤村の「我が胸の底のここには言い難き秘事住めり」・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
出典:青空文庫