・・・油でもコンテでも全然抜群で美校の校長も、黒馬会の白島先生も藤田先生も、およそ先生と名のつく先生は、彼の作品を見たものは一人残らず、ただ驚嘆するばかりで、ぜひ展覧会に出品したらというんだが、奴、つむじ曲がりで、うんといわないばかりか、てんで今・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・他の先生方は皆な私より偉いには偉いが年下だ。校長さんもずッとお少い。 こんな相談は、故老に限ると思って呼んだ。どうだろう。万一の事があるとなら、あえて宮浜の児一人でない。……どれも大事な小児たち――その過失で、私が学校を止めるまでも、地・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・蜜柑、林檎の水菓子屋が負けじと立てた高張も、人の目に着く手術であろう。 古靴屋の手に靴は穿かぬが、外套を売る女の、釦きらきらと羅紗の筒袖。小間物店の若い娘が、毛糸の手袋嵌めたのも、寒さを凌ぐとは見えないで、広告めくのが可憐らしい。 ・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・学士先生の方は、東京のある中学校でれっきとした校長さんでございますが。―― で、その画師さんが、不意に、大蒜屋敷に飛び込んで参ったのは、ろくに旅費も持たずに、東京から遁げ出して来たのだそうで。……と申しますのは――早い話が、細君がありな・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・日本の文化を根本的に革新するには先ず人種を改造するが先決問題であるというが博士の論旨で、人種改良の速成法として欧米人との雑婚を盛んに高調した。K博士の卓説の御利生でもあるまいが、某の大臣の夫人が紅毛碧眼の子を産んだという浮説さえ生じた。・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・蓋し、この愛の高潮でなければならないと信じます。 共産制度の世界に到達して、生産の豊富から、物資の潤沢をのみ夢むような輩は、尚お、心にブルジョアの、安逸と怠惰の念が抜けきらないからです。私達、真の無産者は、喜びを共にし、苦しみを共にし、・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
・・・軽部は大阪天王寺第×小学校の教員、出世がこの男の固着観念で、若い身空で浄瑠璃など習っていたが、むろん浄瑠璃ぐるいの校長に取りいるためだった。下寺町の広沢八助に入門し、校長の相弟子たる光栄に浴していた。なお校長の驥尾に附して、日本橋五丁目の裏・・・ 織田作之助 「雨」
・・・その時中京商業の大宮校長と知り合った、大宮校長は検事の訊問に答えて次のように陳述している。「……私が最初にあの女に会うたのは昨年の四月の末、覚王山の葉桜を見に行き、『寿』という料亭に上った時です。あの女はあそこの女中だったのです。その時・・・ 織田作之助 「世相」
・・・話がついた、すぐ来いの電話だと顔を紅潮させ、「もし、もし、私維康です」と言うと、柳吉の声で「ああ、お、お、お、おばはんか、親爺は今死んだぜ」「ああ、もし、もし」蝶子の声は癇高く震えた。「そんなら、私はすぐそっちイ行きまっさ、紋附も二人分出来・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 紅潮した身体には細い血管までがうっすら膨れあがっていました。両腕を屈伸させてぐりぐりを二の腕や肩につけて見ました。鏡のなかの私は私自身よりも健康でした。私は顔を先程したようにおどけた表情で歪ませて見ました。 Hysterica P・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
出典:青空文庫