・・・狂人のような悶えでそれを引き裂き、私を殺すであろう酷寒のなかの自由をひたすらに私は欲した。 こうした感情は日光浴の際身体の受ける生理的な変化――旺んになって来る血行や、それにしたがって鈍麻してゆく頭脳や――そう言ったもののなかに確かにそ・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・』 この時クスリと一声、笑いを圧し殺すような気勢がしたが、主人はそれには気が付かない。『命せえあればまたどんな事でもできらア。銭がねえならかせぐのよ、情人が不実なら別な情人を目つけるのよ。命がなくなりゃア種なしだ。』 娘が来て、・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・行為の決定にあたって、ひとたびわれわれが生の実質的価値の高下の判断を混うるや否や、それは必ず懐疑に陥らざるを得ない。殺すは悪、恵むは善というような意欲の実質的価値判断を混うるならば、祖国のための戦いに加わるは悪か、怠け者の虚言者に恵むは善か・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・人を殺すことや、怪我をさすことはなか/\好きな男である。 一体、プロレタリア作家は、誰でも人を殺したり、手や足をもぎ取ることが好きである。彼も、その一人である。まるで、人を殺さなければ小説が出来ないものゝように、百姓も殺せば、子供も殺す・・・ 黒島伝治 「自画像」
・・・明智光秀も信長を殺す前には愛宕へ詣って、そして「時は今天が下知る五月かな」というを発句に連歌を奉っている位だ。飯綱山も愛宕山に負けはしない。武田信玄は飯綱山に祈願をさせている。上杉謙信がそれを見て嘲笑って、信玄、弓箭では意をば得ぬより権現の・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・寧ろ一人の無辜を殺すも陸軍の醜辱を掩蔽するに如かずと。而してエミール・ゾーラは蹶然として起てり。彼が火の如き花の如き大文字は、淋漓たる熱血を仏国四千万の驀頭に注ぎ来れる也。 当時若しゾーラをして黙して己ましめんか、彼れ仏国の軍人は遂に一・・・ 幸徳秋水 「ドレフュー大疑獄とエミール・ゾーラ」
・・・ 一歩でも入ってみやがれ、たゝッき殺すぞ!」と大声で叫んだそうだ。母は何が何んだか、わけが分らず、「あのね…………」と云い出すと、「畜生ッ! 入るか」と云って、そこにあったストーヴを掻き廻す鉄のデレッキを振りあげた。母は真青になって帰ってき・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・「こんな、罪もない子供までも殺す必要がどこにあるだろう――」 その時の三郎の調子には、子供とも思えないような力があった。 しかし、これほどの熱狂もいつのまにか三郎の内を通り過ぎて行った。伸び行くさかりの子供は、一つところにとどま・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ウイリイはびっくりして、「お前を殺すなぞということが、どうして私に出来よう。」と言いました。「でもそれが私の仕合せになるのです。けっして悪いことにはなりません。どうか私のいうとおりにして下さい。」と、馬はくりかえしてたのみました。ウ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ 祭司長や民の長老たちが、大祭司カヤパの中庭にこっそり集って、あの人を殺すことを決議したとか、私はそれを、きのう町の物売りから聞きました。もし群集の目前であの人を捕えたならば、あるいは群集が暴動を起すかも知れないから、あの人と弟子たちと・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
出典:青空文庫