・・・狐が、 「さあ、走れ、走らないと、噛み殺すぞ」といって足をどんどんしました。むぐらの親子は、 「ごめんください。ごめんください」と言いながら逃げようとするのですが、みんな目が見えない上に足がきかないものですからただ草を掻くだけです。・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・アンネットの裡には、不羈な自由精神があって、彼女の心臓の力で殺すことが出来ない。然し彼女の成熟した女性は愛を欲し、大きな情熱によってその婚約した青年とは永劫に別れつつ、彼の児の母となった。社会の常識と闘い、アンネットはそれを機会に新たな生涯・・・ 宮本百合子 「アンネット」
・・・はじめてモスクワの「コロス」っていう優秀映画館で公開された時は素敵だった。伴奏は特別作曲された音楽だったし。 帝国主義と植民地とがどういう関係におかれているかということの真実が堂々としたプドフキンの芸術的手腕で把握されていた。 ・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・それだから刺客になっても、人を殺しても、なんのために殺すなんという理窟はいらないのだ。殺す目当になっている人間がなんの邪魔になっているというわけでもない。それを除いてどうするというわけでもない。こないだ局長さんに聞いたが、十五年ばかり前の事・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・「泣きゃあがるとぶち殺すぞ。」 こう云っておいて、ツァウォツキイはひょいと飛び出して、外から戸をばったり締めた。そして家の背後の空地の隅に蹲って、夜どおし泣いた。 色の蒼ざめた、小さい女房は独りで泣くことをも憚った。それは亭主に泣い・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・陛下は全フランスを殺すであろう。万事終った。ネー将軍よ、さらばである」 ナポレオンはデクレスが帰ると、忿懣の色を表してひとり自分の寝室へ戻って来た。だが彼はこの大遠征の計画の裏に、絶えず自分のルイザに対する弱い歓心が潜んでいたのを考えた・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・我を張るのは自己を殺すことであった。自己を愛において完全に生かせるためには、私はまだまだ愛の悩み主我心の苦しみを――愛し得ざる悲しみを――感じていなくてはならない。 しかし私はこの愛の理想のゆえに一つの「人間」の姿を描きたいと思う。主我・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫