・・・ 急にざわめきたった家中は、電話のはげしいベルの絶間ない響と、急にひどくなった雨の騒々しさに満たされて、書斎に物を書いて居る主人と娘は居たたまれない様にあちこちあるき、主婦は何か考えに沈んだ様にしてじいっと椅子から動かなかった。 避・・・ 宮本百合子 「黒馬車」
・・・騒音の激しい、人のざわめき、声々の多い場所で働いている者は、あるいは文学の愛好者となる率が多いのではないかとも思われる。 日本詩歌のリズムの研究が、メトロノームの搏音をつかっての心理学的実験によってなされたことは、この方面において若い心・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
・・・ 声のわれた、卑俗な調子で短い演説のようなことをやったかと思うと、すぐドーンドーンドンドンドンと太鼓が鳴り出し、宵のざわめきを越えて、 信ずるものは誰れェもと再び同じ歌が進行して来る。近所の教会の連中と見え、子供がたかって意味・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・初めての時間、西洋史の先生が教室に入って来られた時、三十二人だったかの全生徒の感情を、愕きと嬉しさとでうち靡かせるようなざわめきがあった。 その女学校の女先生が制服のように着ていたくすんだ紫の羽織をつけただけは同じだが、その脊ののびのび・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・ 風と海のざわめきとの間にも微かなキューキューいう規則正しい音が聞える。子供の時分ランプへ石油を注ぐ時使う金の道具があった。それを石油カンにさして細い針金を引っぱり石油をランプに汲み上げるときキューキュー一種の音を立てた。そっくりその通・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・雲奴もただ事でない宇宙のざわめきに落付かれぬか。カラ さあ、段々私共の足許も隠されて来ました。ミーダ 出かけようぜ。ヴィンダー 出かけよう。カラ 今日おくれたりしては、一期の不覚です。この吉日をとり逃したら又何時ふんだんな人・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・ 私のいら立ちが激しくなるにつれて家中のざわめきは益々ひどくなって、台所で女中が弾んだ声で、「富田さん富田さんと叫ぶのに混ってバタバタ云う草履の音や氷を欠く響きが只事ならず段々更けて行く夜の空気を乱して聞えて来た。 ・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・―― そうかと思うと、彼等は俄に生きものらしい衝動的なざわめきを起し、日が沈んだばかりの、熱っぽい、藍と卵色の空に向って背延びをしようと動き焦るように思われる。 夜とともに、砂漠には、底に潜んだほとぼりと、当途ない漠然とした不安が漲・・・ 宮本百合子 「翔び去る印象」
・・・ 河の水音、木々のざわめき、どこかで打つ太鼓の音などは、皆一つの平和な調和を保って、下界から子守唄のようになごやかに物柔かく子供の心を愛撫して行く。 六の単純な心は、これ等の景色にすっかり魅せられてしまうのが常であった。 大人の・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 一ときのざわめきが消えた。四辺は俄に夕暮らしい風情を増した。大東屋はいつかがらんと人気なく、肌つめたい秋の残照の中に、雁来紅の濃い色調、紫苑、穂に出た尾花など夜に入る前一息のあざやかさで浮上った。 茂みの彼方で箒の音がしはじめ・・・ 宮本百合子 「百花園」
出典:青空文庫