・・・少なくも晩年の作品の中に現われている色々のものの胚子がこの短い詩形の中に多分に含まれている事だけは確実である。 俳句とは如何なるものかという問に対して先生の云った言葉のうちに、俳句はレトリックのエッセンスであるという意味の事を云われた事・・・ 寺田寅彦 「夏目先生の俳句と漢詩」
・・・この二つの短詩形の中に盛られたものは、多くの場合において、日本の自然と日本人との包含によって生じた全機的有機体日本が最も雄弁にそれ自身を物語る声のレコードとして見ることのできるものである。これらの詩の中に現われた自然は科学者の取り扱うような・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・その最期の苦悶を表わす週期的の痙攣を見ていた時に、ふと近くに読んだある死刑囚の最後のさまが頭に浮かんで来た。 もう一つのねずみがどこへかくれたか姿を消してしまった。何も置いてない玄関の事だからどこにものがれるような穴はない。念のために長・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ なんだか夢のような話であるが、しかし百年たたないうちにそんな新詩形が東洋の日本で生まれ出て、それが西洋へ輸入され、高慢な西洋人がびっくりしてそうして争ってまねをはじめるということにならないとも限らない。 九 短・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
古い昔から日本民族に固有な、五と七との音数律による詩形の一系統がある。これが記紀の時代に現われて以来今日に至るまで短歌俳句はもちろん各種の歌謡民謡にまでも瀰漫している。この大きな体系の中に古今を通じて画然と一つの大きな線を・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ 古い昔の短い詩形はかなり区々なものであったらしい、という事は古事記などを見ても想像される。それがだんだんに三十一文字の短歌形式に固定して来たのは、やはり一種の自然淘汰の結果であって、それが当時の環境に最もよく適応するものであったためで・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
・・・それと同じようにわれわれはまた俳句というものの中に流れている俳句的精神といったようなものの源泉を、その詩型の底にもぐり込んで追究して行くと、その水脈のようなものは意外に広く遠い所に根を引いているのに気がつくであろう。たとえば万葉や古事記の歌・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 俳句の十七字詩形を歴史的にさかのぼって行くと「俳諧の発句」を通して「連歌の発句」に達し、そこで明白な一つの泉の源頭に行き着く。これは周知のことである。 しかし、川の流れをさかのぼって深い谷間の岩の割れ目に源泉を発見した場合にいわゆ・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 窓のない部屋はどんなに美しくてもそれは死刑囚の独房のような気がする。こういう室に一日を過ごすのは想像しただけでも窒息しそうな気がする。これに比べたら、たとえどんなあばら家でも、大空が見え、広野が見える室のほうが少なくも自由に呼吸する事・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・ この日本的の涼しさを、最も端的に表現する文学はやはり俳句にしくものはない。詩形そのものからが涼しいのである。試みに座右の漱石句集から若干句を抜いてみる。顔にふるる芭蕉涼しや籐の寝椅子涼しさや蚊帳の中より和歌の浦水盤・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
出典:青空文庫