・・・私はこの隣家のお婆さんの孫にあたる子息や、森さんなぞと一緒に同じ食卓についていて、日ごろはめったにやらない酒をすこしばかりやった。太郎はまたこの新築した二階の部屋で初めての客をするという顔つきで、冷めた徳利を集めたり、それを熱燗に取り替えて・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 音沙汰の無い、どうしているか解らないような子息のことも、大塚さんの胸に浮んだ。大塚さんは全く子が無いでは無い。一人ある。しかも今では音信不通な人に成っている。その人は大塚さんがずっと若い時に出来た子息で、体格は父に似て大きい方だった。・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・この二人の間に生れた一人子息が今の新七だ。お三輪が小竹の隠居と言われる時分には、旦那は疾くにこの世にいない人で、店も守る一方であったが、それでも商法はかなり手広くやり、先代が始めた上海の商人との取引は新七の代までずっと続いていた。 お三・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・お爺さんは一代のうちに蔵をいくつも建てたような手堅い商人であったが、総領の子息にはいちばん重きを置いたと見えて、長いことかかって自分で経営した網問屋から、店の品物から、取引先の得意までつけてそっくり子息にくれた。ところが子息は、お爺さんから・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・仕事。子息令嬢の思想。満洲国。その他。』――あとの二つは、講談社の本の広告です。近日、短篇集お出しの由、この広告文を盗みなさい。お読み下さい。ね。うまいもんでしょう?私に油断してはいけません。私は貴方の右足の小指の、黒い片端爪さえ知っている・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・、その吐瀉物をあとへ汚くのこして死ぬのは、なんとしても、心残りであったから、マントの袖で拭いてまわって、いつしか、私にも、薬がきいて、ぬらぬら濡れている岩の上を踏みぬめらかし踏みすべり、まっくろぐろの四足獣、のどに赤熱の鉄火箸を、五寸も六寸・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・なりもふりもかまわず、四足をなげ出し、うす赤い腹をひくひく動かしながら、日向に一日じっとしている。ひとがその傍を通っても、吠えるどころか、薄目をあけて、うっとり見送り、また眼をつぶる。みっともないものである。きたならしい。海の動物にたとえれ・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・それほどにまでこの四足獣はわれわれの頭の中で人格化しているのだと思われる。 私は夜ふけてひとり仕事でもやっている時に、長い縁側を歩いて来る軽い足音を聞く。そして椅子の下へはいって来てそっと私の足をなでたりすると、思わず「どうした」とか「・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・それで、次にロンドンへ来た折に二人で一緒にやってはどうかという子息の申出を喜んだように見えた。それから帰宿の途中、地下鉄の昇降器の中で卒倒したが、その時はすぐに回復した。 一九一九年五月十八日の日曜、例の通り教会へ行ったが気分が悪いと云・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・ するとお前さん、大将が私の前までおいでなすって、お前にゃ単た一人の子息じゃったそうだなと、恐入った御挨拶でござえんしょう。見れア忰の位牌を丁と床の間に飾ってお膳がすえてあると云う訳なんだ。坊さんは、××大将は浄土だが、私は真言だからと・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫