某儀明日年来の宿望相達し候て、妙解院殿御墓前において首尾よく切腹いたし候事と相成り候。しかれば子孫のため事の顛末書き残しおきたく、京都なる弟又次郎宅において筆を取り候。 某祖父は興津右兵衛景通と申候。永正十一年駿河国興・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・某が買求め候香木、畏くも至尊の御賞美を被り、御当家の誉と相成り候事、存じ寄らざる仕合せと存じ、落涙候事に候。 さりながら一旦切腹と思定め候某、竊に時節を相待ちおり候ところ、御隠居松向寺殿は申に及ばず、その頃の御当主妙解院殿よりも出格の御・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・ 某が相果候仔細は、子孫にも承知致させたく候えば、概略左に書残し候。 最早三十余年の昔に相成り候事に候。寛永元年五月安南船長崎に到着候節、当時松向寺殿は御薙髪遊ばされ候てより三年目なりしが、御茶事に御用いなされ候珍らしき品買求め候様・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・主人本多意気揚は徳川家康が酒井家に附けた意気揚の子孫で、武士道に心入の深い人なので、すぐに九郎右衛門の願を聞き届けた。江戸ではまだ敵討の願を出したばかりで、上からそんな沙汰もないうちに、九郎右衛門は意気揚から拵附の刀一腰と、手当金二十両とを・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・恐らく美に対するその全存在的な感激において、当時の我々の祖先はその後のどの時代の子孫よりも優っていただろう。彼らを新しい運動に引き入れたのは、確かに芸術的魅力であったに相違ない。そうしてこの感激が彼らの生活全体を更新しないではやまない力とな・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫