・・・お神さんは時田のシャツの破綻を繕っている。 夜食が済むと座敷を取り片付けるので母屋の方は騒いでいたが、それが済むと長屋の者や近所の者がそろそろ集まって来て、がやがやしゃべるのが聞こえる。日はとっぷり暮れたが月はまだ登らない、時田は燈火も・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・礼ちゃんが新橋の勧工場で大きな人形を強請って困らしたの、電車の中に泥酔者が居て衆人を苦しめたの、真蔵に向て細君が、所天は寒むがり坊だから大徳で上等飛切の舶来のシャツを買って来たの、下町へ出るとどうしても思ったよりか余計にお金を使うだの、それ・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・「うち毛のシャツを買うて貰おう。」次女のきみが云った。 子供達は、他人に負けないだけの服装をしないと、いやがって、よく外へ出て行かないのだ。お品は、三四年前に買った肩掛けが古くなったから、新しいのをほしがった。 清吉は、台所で、・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・ 汚れた一枚のシャツの背には、地図のように汗がにじんでいた。そして、その地図の区域は次第に拡大した。「さ、這入ったよ。」 タエは、鉱車を押し出す手ごをした。 それは六分目ほどしか這入っていなかった。市三は、枕木を踏んばりだし・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・そんな連中は入ってくると、臭いジト/\したシャツを脱いで、虱を取り出した。真っ黒なコロッとした虱が、折目という折目にウジョ/\たかっていた。 一度、六十位の身体一杯にヒゼンをかいたバタヤのお爺さんが這入ってきたことがあった。エンコに出て・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・と章坊が着物を引っ抱えて飛びだすと、入れ違いに小母さんがはいってきて、シャツの上から着物を着せかけてくれる。「さ、これをあげましょう」と下締を解く。それを結んで小暗い風呂場から出てくると、藤さんが赤い裏の羽織を披げて後へ廻る。「そん・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・五十円を故郷の姉から、これが最後だと言って、やっと送って戴き、私は学生鞄に着更の浴衣やらシャツやらを詰め込み、それを持ってふらと、下宿を立ち出で、そのまま汽車に乗りこめばよかったものを、方角を間違え、馴染みのおでんやにとびこみました。其処に・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・「開襟シャツ一枚でいいよ。」 朝に言い出し、お昼にはもう出発ということになりました。一刻も早く、家から出て行きたい様子でしたが、炎天つづきの東京にめずらしくその日、俄雨があり、夫は、リュックを背負い靴をはいて、玄関の式台に腰をおろし・・・ 太宰治 「おさん」
・・・晴れた日には庭一面におしめやシャツのような物を干す、軒下には缶詰の殻やら横緒の切れた泥塗れの女下駄などがころがっている。雨の日には縁側に乳母車があがって、古下駄が雨垂れに濡れている。家の中までは見えぬがきたなさは想像が出来る。細君からして随・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・これが単にちょっと一風変わった構図であるというだけならそれまでであるが、この構図があの場合におけるあの頭巾とあのシャツを着たあの三人のシチュエーションなりムードなりまたテンペラメントなりに実によく適合している。こういう技巧はロシア映画ではあ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫