・・・ 庫裡に音信れて、お墓経をと頼むと、気軽に取次がれた住職が、納所とも小僧ともいわず、すぐに下駄ばきで卵塔場へ出向わるる。 かあかあと、鴉が鳴く。……墓所は日陰である。苔に惑い、露に辷って、樹島がやや慌しかったのは、余り身軽に和尚どの・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 二十七日の夜ともいうべき二十八日の夙くに出港せしが、浪風あらく雲乱れて、後には雨さえ加わりたり。福山すなわち松前と往時は云いし城下に暫時碇泊しけるに、北海道には珍らしくもさすがは旧城下だけありて白壁づくりの家など眸に入る。此地には長寿・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・十一時出航、 自分から出した手紙の抜粋、三月一日付、 今日のように春らしい日差しに成って暖で、雨が降ってやんで、水たまりに日が写って居ると法悦に近いような喜びに胸を打れます。総ての人が幸福にならなければなりません。・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
出典:青空文庫