・・・それにもかかわらず、うかうかとそういうものに頼って脚下の安全なものを棄てようとする、それと同じ心理が、正しく地震や津浪の災害を招致する、というよりはむしろ、地震や津浪から災害を製造する原動力になるのである。 津浪の恐れのあるのは三陸沿岸・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・複雑な環境の変化に適応せんとする不断の意識的ないし無意識的努力はその環境に対する観察の精微と敏捷を招致し養成するわけである。同時にまた自然の驚異の奥行きと神秘の深さに対する感覚を助長する結果にもなるはずである。自然の神秘とその威力を知ること・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・きわめて卑近の一例を引いてみれば、庭園の作り方でも一方では幾何学的の設計図によって草木花卉を配列するのに、他方では天然の山水の姿を身辺に招致しようとする。 この自然観の相違が一方では科学を発達させ、他方では俳句というきわめて特異な詩を発・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・しかしその疑いは何の理由のないことは自分も承知していた。「いったい何時だろう」「四時です」 断定的に帰宅を促した電文が、それから間もなく辰之助の家からお絹の家へ届いて、道太はにわかに出立を急ぐことになった。 支度をしに二階へ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・「古ヨリ都下ノ勝地ヲ言フ者必先ヅ指ヲ小西湖ニ屈スルハ其山水ノ観アルヲ以テナリ。服部南郭、屋代輪池、清水泊、梁川星巌、深川永機等皆一タビ、跡ヲ湖上ニ寄ス。爾来文人韻士ノ之ニ居ル者鮮シトナサズ。」 服部南郭の不忍池畔に住んだのは其文集につい・・・ 永井荷風 「上野」
・・・「はあ、承知しました。」 玄関に平伏した田崎は、父の車が砂利を轢って表門を出るや否や、小倉袴の股立高く取って、天秤棒を手に庭へと出た。其の時分の書生のさまなぞ、今から考えると、幕府の当時と同様、可笑しい程主従の差別のついて居た事が、・・・ 永井荷風 「狐」
・・・説明するまでもなく金春の煉瓦造りは、土蔵のように壁塗りになっていて、赤い煉瓦の生地を露出させてはいない。家の軒はいずれも長く突き出で円い柱に支えられている。今日ではこのアアチの下をば無用の空地にして置くだけの余裕がなくって、戸々勝手にこれを・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・その時代から一般の風俗は次第に変って来てポオル・ド・コックの後には画家の一団体が盛に巴里郊外の勝地を跋渉し始めた。今日では誰も知っている彼の Meudon の佳景を発見したのは自然を写生するために古典の形式を破棄した Franais 一派の・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・明治三十一年の頃には向島の地はなお全く幽雅の趣を失わず、依然として都人観花の勝地となされていた。それより三年の後平出鏗二郎氏が『東京風俗志』三巻を著した時にも著者は向嶋桜花の状を叙して下の如く言っている。「桜は向嶋最も盛なり。中略三囲の鳥居・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・私の講演を行住坐臥共に覚えていらっしゃいと言っても、心理作用に反した注文なら誰も承知する者はありません。これと同じようにあなた方と云うやはり一箇の団体の意識の内容を検して見るとたとえ一カ月に亘ろうが一年に亘ろうが一カ月には一カ月を括るべき炳・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫