・・・「何か娑婆で忘れて来た事があるなら、一日だけ暇を貰って帰って来る権利があるのだ。正当に死ねるはずの時が来て死んだものには、そんな権利は無い、もう用事が無いはずだからな。自殺したものとなるととかく何かしら忘れて来るものだ。そのために娑婆の・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・ それで果して文学的活動は正当さを主張し得るのであろうか。もしそれで正当となすものがあるならば、コンミニズム文学は、文学の圏内に於ては、最早やいかなる発展能力をも持ち得ないと云わなければならぬ。 われわれの文学は、文学形式と・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・かかる社会主義的な文学は、当然、正統な弁証法的発展段階のもとに成長して来た、新感覚派文学の中から起るべき運命を持っている。 しかしながら、次に起るべき新しき文学は、新感覚派の中から発生した社会主義文学のみではない。何故なら、われわれ・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・二 その日のナポレオンの奇怪な哄笑に驚いたネー将軍の感覚は正当であった。ナポレオンの腹の上では、径五寸の田虫が地図のように猖獗を極めていた。この事実を知っていたものは貞淑無二な彼の前皇后ジョセフィヌただ一人であった。 彼・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・法螺ふきをそしるとか、自慢話を言いけすとかというのは、正当な批判であって、そねみや卑しめではない。そねむのは優れた価値を引きおろすことであり、卑しめるのは人格に侮蔑を加えることであって、いずれも道義的には最も排斥さるべきことである。 第・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・ 芸術品は、もしそれが真に芸術品であり、また正当に芸術品として鑑賞されれば、いかなる場合にも社会の秩序を乱し風俗を壊乱するというような影響を与えるものでない。むしろ鑑賞者の生活を高め豊富にするということによって、間接に社会の秩序を高め風・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・閹人たちは踊りが高潮に達した時に小刀をもって腕や腿を傷つける。そうして血みどろになって猛烈に踊り続ける。それを見まもる者はその血の歓びを神の恩寵として感じている。その彼らはまた処女の神聖を神にささげると称して神殿を婚姻の床に代用する。性欲の・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・実際それは、偽善家の面皮を正直という小刀で剥いでやった、という意味で、重大な意義を持つに違いない。あるいはまた幻影に囚われた理想家を現実に引きもどした、という意味で。――しかしそれは決して以前よりも深い真実を捕えてくれたわけでなかった。それ・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫