・・・年齢は三十五歳、職業は東京帝国文科大学哲学科卒業後、引続き今日まで、私立――大学の倫理及英語の教師を致して居ります。妻ふさ子は、丁度四年以前に、私と結婚致しました。当年二十七歳になりますが、子供はまだ一人もございません。ここで私が特に閣下の・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・自分の中学は、当時ある私立中学で英語の教師を勤めていた、毛利先生と云う老人に、今まで安達先生の受持っていた授業を一時嘱託した。 自分が始めて毛利先生を見たのは、その就任当日の午後である。自分たち三年級の生徒たちは、新しい教師を迎えると云・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
二十五年という歳月は一世紀の四分の一である。決して短かいとは云われぬ。此の間に何十人何百人の事業家、致富家、名士、学者が起ったり仆れたりしたか解らぬ。二十五年前には大外交家小村侯爵はタシカ私立法律学校の貧乏講師であった。英雄広瀬中佐は・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・県立中学に多分合格しているだろうが、若し駄目だったら、私立中学の入学試験を受けるために、成績が分るまで子供は帰らせずに、引きとめている。ということだった。「もう通らなんだら、私立を受けさしてまで中学へやらいでもえいわやの。家のような貧乏・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・今日は市立つ日とて、秤を腰に算盤を懐にしたる人々のそこここに行きかい、糸繭の売買に声かしましく罵り叫く。文化文政の頃に成りたる風土記稿にしるせる如く、今も昔の定めを更えで二七の日をば用いるなるべし。昼餉を終えたれど暑さ烈しければ、二時過ぐる・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・先生がまだ男のさかりの頃、東京の私立学校で英語の教師をした時分、教えた生徒の一人が高瀬だった。その後、先生が高輪の教会の牧師をして、かたわらある女学校へ教えに行った時分、誰か桜井の家名を継がせるものをと思って――その頃は先生も頼りにする子が・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・北村君は方々の私立学校を経て、今の早稲田大学が専門学校と云った時代の、政治科にいた事もあったと聞いた。当時の青年はこう一体に、何れも政治思想を懐くというような時で、北村君もその風潮に激せられて、先ず政治家になろうと決したのだが、その後一時非・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・ひとり弟がいるのだが、こいつが、父母の反対を押し切って、六年まえに姉のとみのところへ駈けつけて来て、いまは、私立の大学にかよっている。どうしたらいいでしょう。それが相談である。男爵は、呆れた。とみを、ばかでないかと疑った。「ふざけるのも・・・ 太宰治 「花燭」
・・・父は、私立大学の英語の教師をしています。私には、兄も姉もありません。からだの弱い弟がひとりあるきりです。弟は、ことし市立の中学へはいりました。私は、私の家庭を決してきらいでは無いのですが、それでも淋しくてなりません。以前はよかった。本当に、・・・ 太宰治 「千代女」
・・・弟は、ことし市立の中学へはいりました。私は、私の家庭を決してきらいでは無いのですが、それでも淋しくてなりません。以前はよかった。本当に、よかった。父にも母にも、思うぞんぶんに甘えて、おどけたことばかり言い、家中を笑わせて居りました。弟にも優・・・ 太宰治 「千代女」
出典:青空文庫