・・・感服しなくなってからもなお修辞上の精妙を嘖々し、ドストエフスキーの『罪と罰』の如きは露国の最大文学であるを確認しつつもなお、ドストエフスキーの文章はカラ下手くそで全で成っていないといってツルゲーネフの次位に置き、文学上の批判がともすれば文章・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
一 どこからともなく、爺と子供の二人の乞食が、ある北の方の港の町に入ってきました。 もう、ころは秋の末で、日にまし気候が寒くなって、太陽は南へと遠ざかって、照らす光が弱くなった時分であります。毎日のように渡り鳥は、ほばしらの・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・従って、その地方の子供達が海洋に対する空想、憧憬は、決して同じいものではなかったばかりでなく、これに対する愛憎、喜悲の感情に至るまで、また同じいとはいえなかったでありましょう。 それであるから、概念的に、ただ海といっても、すべての子供達・・・ 小川未明 「新童話論」
・・・ 涙の光るところ、其の眼に同じい悲しみが宿る。恋の歌を聞くところ、其処に同じい怨みに泣く人があることを知る。こう、考えると私には、たゞ、其等の人々の境遇によって、現在の頭を占領している気分が違っているに留まるものだと思われた。 人間・・・ 小川未明 「忘れられたる感情」
・・・「変らないことがあるものですか、商売が商売ですし、それに手は足りないし、装も振りもかまっちゃいられないんですもの、爺穢くなるばかりですのさ」「まあ、それで爺穢いのなら、お仙なぞもなるべく爺穢くさせたいものでございますね……あの、お仙・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 側へ寄って見ると、そこには小屋掛もしなければ、日除もしてないで、唯野天の平地に親子らしいお爺さんと男の子が立っていて、それが大勢の見物に取り巻かれているのです。 私は前に大人が大勢立っているので、よく見えません。そこで、乳母の背中・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・は作者の十六歳の時の筆が祖父の大阪弁を写生している腕のたしかさはさすがであり、書きにくい大阪弁をあれだけ写し得たことによってこの作品が生かされたともいえるくらいであるが、あの大阪弁は茨木あたりの大阪弁である。「細雪」の大阪弁、「人間同志」の・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・ 花嫁にあるまじい振舞いだったが、仲人はさすがに苦労人で、宇治の螢までが伏見の酒にあくがれて三十石で上ってきよった。船も三十石なら酒も三十石、さア今夜はうんと……、飲まぬ先からの酔うた声で巧く捌いてしまった。伏見は酒の名所、寺田屋は伏見・・・ 織田作之助 「螢」
・・・Fの方は昨晩からずいぶん悄げていたが、行李もできて別れの晩飯にかかったが、いよいよとなると母や妹たちや祖父などに会えるという嬉しさからか、私とは反対に元気になった。「母さんとこで二三日も遊んだら、祖父さんの方へ行ってすぐ学校へ行くように・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・小切手を渡した係りの前へ二度ばかりも示威運動をしに行った。とうとうしまいに自分は係りに口を利いた。小切手は中途の係りがぼんやりしていたのだった。 出て正門前の方へゆく。多分行き倒れか転んで気絶をしたかした若い女の人を二人の巡査が左右から・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
出典:青空文庫