・・・長野市は中央がずっと傾斜をもった町で、横通りを見るといつも山が見え一種の情趣はもって居ます。 十月二十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より〕 十月二十一日。 きょうは雨つづきの後の晴天で、珍しく川口さん夫妻が小さい・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・日本の春の美の一部がさっと本来の情趣をもって私の心を魅するであろう。〔一九二七年五月〕 宮本百合子 「塵埃、空、花」
・・・ 後年渡辺治衛門というあかじや銀行のもち主がそこを買いしめて、情趣もない渡辺町という名をつけ、分譲地にしたあたり一帯は道灌山つづきで、大きい斜面に雑木林があり、トロッコがころがったりしている原っぱは広大な佐竹ケ原であった。原っぱをめぐっ・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・という文字が訴える情趣もそがれている。わたしは、惰性めいた微かな反撥の気分のまま、この赤い二つの文字も通りすぎてしまった。 たった一冊「春桃」と、今は、はっきり読める本を見た刹那、護国寺の本屋のことがすぐ思い浮んだ。全く違う好奇心を感じ・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・北極光の照らす深い北海の年々の集合所から真白い一匹の雄海豹のルカンノンが自分の躯にうずく希みにつき動かされて、海豹の群がまだ一度も潜ったことのない碧い水の洞をぬけて遠く遠く新しい浜辺を求めて行く冒険が情趣深く描かれている。 私たちの心に・・・ 宮本百合子 「山の彼方は」
・・・兄や父親の政治的な利害に従って、いじらしい婦人達は、あの城主からこの城主へと、夫を換えさせられることが屡々珍しくなかったし、愛する男の子は敵方の血すじを保っているからと棄てさせられて、自分だけが実家の軍勢に囲まれた城から、甲斐なくも救い出さ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・細川忠利が隈本城主になったのは寛永九年だから、これも年代が相違している。そこで丁度二条行幸の前寛永元年五月安南国から香木が渡った事があるので、それを使って、隈本を杵築に改めた。最後に興律は死んだ時何歳であったか分からない。しかし万治から溯る・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
播磨国飾東郡姫路の城主酒井雅楽頭忠実の上邸は、江戸城の大手向左角にあった。そこの金部屋には、いつも侍が二人ずつ泊ることになっていた。然るに天保四年癸巳の歳十二月二十六日の卯の刻過の事である。当年五十五歳になる、大金奉行山本・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・加賀の前田は金沢、上杉は米沢、浅野松平は広島の城主である。 文政の初年には竜池が家に、父母伊兵衛夫婦が存命していて、そこへ子婦某氏が来ていた。竜池は金兵衛以下数人の手代を諸家へ用聞に遣り、三日式日には自身も邸々を挨拶に廻った。加賀家は肥・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・だが、この空と花との美しき情趣の中で、華やかな女のさざめきが微笑のように迫るなら、愛慾に落ちないものは石であった。このためここの白い看護婦たちは、患者の脈を験べる巧妙な手つきと同様に、微笑と秋波を名優のように整頓しなければならなかった。しか・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫