・・・そのとき私は王の……だったのですがこの絵ができてから王さまは殺されわたくしどもはいっしょに出家したのでしたが敵王がきて寺を焼くとき二日ほど俗服を着てかくれているうちわたくしは恋人 人々が集って口々に叫びました。(雁 童子はも一度・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・亀山次官は「余りに冷酷な世間」と一般人民に責任がありそうな見出しの話しかたをしている。けれども、今日のこの悲劇の真実の社会的責任はどこに在るか。真面目に「世間」も顛落する不幸な人々も考え直してみるべきである。 戦争中、虚偽の大本営発表で・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・卑近な実例で、大蔵次官が収賄して下獄した。ああなるまでにもし彼の細君がはっきりくりかえして、わたしたちの家庭に、いかがわしい洋服はいりません。みそ醤油なんぞまでもらうのはあんまりだから、いやです。といったら、どうだったろうか。 大蔵委員・・・ 宮本百合子 「今年のことば」
・・・それは、一人の次官、あれこれの社長、社会党の誰彼が法廷に出て不正行為をあばかれ、責任を問われようとも、それは、東京裁判における東條英機その他の被告が、きょうの社会にもっている関係に等しいという事実である。 日本の人民生活を、今日の惨苦に・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
・・・川島忠之助は正金銀行の支配人として活躍したし、東海散士、柴四朗は農商務次官、代議士、大阪毎日新聞初代社長、外務参事官、閔妃事件で下獄したこともある。馬場辰猪は、明治四年頃ロンドンで法律を学び、自由党解散の前年「天賦人権論」を著し、獄中生活の・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・吉村隊の身の毛もよだつ残虐行為は、正義のために裁かれなければならないと云いながら、近藤鶴代外務次官はその口で、太平洋同盟を云っている。日本を新しい危険と不幸にまきこむかもしれない戦争を挑発しつつ、そこにはびこるのは、根づよくのこっている日本・・・ 宮本百合子 「平和をわれらに」
・・・元大審院部長・元司法次官三宅正太郎という人が、中央労働委員会の会長に就任した。これは、世界にも類のない民主化の方法である。 同時に主要食糧供出に対する強権発動のことが云われている。申告すべき退蔵物資の十六種目一覧表も載った。ここに又一つ・・・ 宮本百合子 「モラトリアム質疑」
・・・復員軍人がそれらの犯罪を犯すということについて輿論が高くなって、宮内次官は「世間の眼が復員軍人に対して冷た過ぎる」と、さながら人民に現在の社会悪の責任があるかのような口振りである。けれども、静かに思いめぐらした時、これらの復員軍人が秩序を紊・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・この霊屋の下に、翌年の冬になって、護国山妙解寺が建立せられて、江戸品川東海寺から沢庵和尚の同門の啓室和尚が来て住持になり、それが寺内の臨流庵に隠居してから、忠利の二男で出家していた宗玄が、天岸和尚と号して跡つぎになるのである。忠利の法号は妙・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・そこで佐野さんは、内情を知らない親達が、住職の難癖を附けずに出家を止めるのを聞いて、げにもと思うらしいのに勢を得て、お蝶より先きに東京に出て、或る私立学校に這入った。お蝶が東京に出たのは、佐野さんの跡を慕って来たのであった。 佐野さんは・・・ 森鴎外 「心中」
出典:青空文庫