・・・夫婦の者が深くあいたよって互いに懐しく思う精神のほとんど無意識の間にも、いつも生き生きとして動いているということは、処世上つねに不安に襲われつつある階級の人に多く見るべきことではあるまいか。 そりゃ境遇が違えば、したがって心持ちも違うの・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・着が悪くとも気になる、庭の石に土がついたまで捨てて置けないという、心の状態になるのである、趣味を感ずる神経が非常に過敏になる、従て一動一作にも趣味を感じ、庭の掃除は勿論、手鉢の水を汲み替うるにも強烈に清新を感ずるのである、客を迎えては談話の・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・僕の胸があまり荒んでいて、――僕自身もあんまり疲れているので、――単純な精神上のまよわしや、たわいもない言語上のよろこばせやで満足が出来ない。――同情などは薬にしたくも根が絶えてしまった。 僕は妻のヒステリをもって菊子の毒眼を買い、両方・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・椿岳が一生の大作として如何にこの画に精神を注いだかは想像するに余りがある。幸いこの画は地震の禍いをも受けずに今なお残っているが、画が画だからマジメに伝統の法則を守った作で、椿岳独自の画境を見る事は出来ない。が、椿岳の画の深い根柢や豪健な筆力・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ かつ椿岳の水彩や油画は歴史的興味以外に何の価値がない幼稚の作であるにしろ、洋画の造詣が施彩及び構図の上に清新の創意を与えたは随所に認められる。その著るしきは先年の展覧会に出品された広野健司氏所蔵の花卉の図の如き、これを今日の若い新らし・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その第一回は美妙の裸蝴蝶で大分前受けがしたが、第二回の『於母影』は珠玉を満盛した和歌漢詩新体韻文の聚宝盆で、口先きの変った、丁度果実の盛籠を見るような色彩美と清新味で人気を沸騰さした。S・S・Sとは如何なる人だろう、と、未知の署名者の謎がい・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・それでもしわれわれにジョン・バンヤンの精神がありますならば、すなわちわれわれが他人から聞いたつまらない説を伝えるのでなく、自分の拵った神学説を伝えるでなくして、私はこう感じた、私はこう苦しんだ、私はこう喜んだ、ということを書くならば、世間の・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・類を愛する信念の何れ程迄に真実であるかを疑わなければならないが、そして、このたびの軍備縮小などというが如き、其の実、戦争を予期しての企てに対して、却って、其の正義人道を看板に掲げた底に潜む、資本主義的精神の狡猾を憎まざるを得ないが、ヒューズ・・・ 小川未明 「芸術は革命的精神に醗酵す」
・・・ 塵埃に塗れた、草や、木が、風雨を恋うるように、生活に疲れた人々は、清新な生命の泉に渇するのであります。詩の使命を知るものは、童話が、いかに、この人生に重大な位置にあるかを考えるでありましょう。 新人生建設のために、私達は、新芸術の・・・ 小川未明 「『小さな草と太陽』序」
・・・勇敢に清新な人間的の理想に燃える芸術が、百難を排して尚お興起するのを否むことができない。また、そうなくてはならない。 人間が生存する限り、生長が、社会のすべてに期待される。けれど、今日は、芸術――広く言えば文壇が、特に、私的生活と複雑な・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
出典:青空文庫