・・・然れども軽忽に発狂したる罪は鼓を鳴らして責めざるべからず。否、忍野氏の罪のみならんや。発狂禁止令を等閑に附せる歴代政府の失政をも天に替って責めざるべからず。「常子夫人の談によれば、夫人は少くとも一ヶ年間、××胡同の社宅に止まり、忍野氏の・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・去んぬる長光寺の城攻めの折も、夫は博奕に負けましたために、馬はもとより鎧兜さえ奪われて居ったそうでございます。それでも合戦と云う日には、南無阿弥陀仏と大文字に書いた紙の羽織を素肌に纏い、枝つきの竹を差し物に代え、右手に三尺五寸の太刀を抜き、・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・すると姉や浅川の叔母が、親不孝だと云って兄を責める。――こんな光景も一瞬間、はっきり眼の前に見えるような気がした。「今日届けば、あしたは帰りますよ。」 洋一はいつか叔母よりも、彼自身に気休めを云い聞かせていた。 そこへちょうど店・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・卵から生れた五百人の力士は、母とも知らない蓮華夫人の城を攻めに向って来る。蓮華夫人はそれを聞くと、城の上の楼に登って、「私はお前たち五百人の母だ。その証拠はここにある。」と云う。そうして乳を出しながら、美しい手に絞って見せる。乳は五百条の泉・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・ 将来の仕事も生活もどうなってゆくかわからないような彼は、この冴えに冴えた秋の夜の底にひたりながら、言いようのない孤独に攻めつけられてしまった。 物音に驚いて眼をさました時には、父はもう隣の部屋で茶を啜っているらしかった。その朝も晴・・・ 有島武郎 「親子」
・・・彼れが鞭とあおりで馬を責めながら最初から目星をつけていた先頭の馬に追いせまった時には決勝点が近かった。彼れはいらだってびしびしと鞭をくれた。始めは自分の馬の鼻が相手の馬の尻とすれすれになっていたが、やがて一歩一歩二頭の距離は縮まった。狂気の・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・もう人が何と言いましょうと、旦那さんのお言ばかりで、どんなに、あの人から責められましても私はきっぱりと、心中なんか厭だと言います。お庇さまで助りました。またこれで親兄弟のいとしい顔も見られます。もう、この一年ばかりこのかたと言いますもの、朝・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・しかしながらまた目の前の母が、悔悟の念に攻められ、自ら大罪を犯したと信じて嘆いている愍然さを見ると、僕はどうしても今は民子を泣いては居られない。僕がめそめそして居ったでは、母の苦しみは増すばかりと気がついた。それから一心に自分で自分を励まし・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ お祖母さんがまた話を続ける身を責めて泣かれるのも、その筈であった。僕は、「お祖母さん、よく判りました。私は民さんの心持はよく知っています。去年の春、民さんが嫁にゆかれたと聞いた時でさえ、私は民さんを毛ほども疑わなかったですもの。ど・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・母も省作のおちつかぬはおとよゆえと承知はしているが、わざとその点を避けて遠攻めをやってる。省作がおつねになずみさえすれば、おとよの事は自然忘れるであろうと思いこんで、母はただ省作を深田の方へやって置きたいのだ。「お前も知ってのとおり深田・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
出典:青空文庫