・・・ 千鶴子の国は西の方で、そこの女学校の専門部で国文を専攻し、暫く或る有名なこれも物を書く人の助手をした後、その人のすすめもあり上京したのだそうであった。まだ一年と少しにしか東京に来てならず、×さんと知ったのもその後のことだと云った。・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・ その微かな閃光、その高まり来る諧調を、誤たず、混同せず文字に移し載せられた時、私共は、真個に、湧き出た新鮮な創作の真と美とに触れられる。昔、仏像の製作者が、先ず斎戒沐浴して鑿を執った、そのことの裡に潜む力は、水をかぶり、俗界と絶つ緊張・・・ 宮本百合子 「透き徹る秋」
・・・ 室へ帰って手帳に物を書いていたら、薄いカーテンに妙に青っぽい閃光が映り、目をあげて外を見ると、窓前のプラタナスに似た街路樹の葉へも、折々そのマグネシュームをたいた時のような光が差して来る。不思議に思って首をさし出したら、つい先が小公園・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・今日の歴史に生きるには、それに先行する時代から受けた苦しみそのものの中に沈潜して、そこから自分たちのこれからの新しい発展を辿りださねばならないという気持が、広汎にあります。そして、自分たちの経験を発展の母胎と見、それにいちおうは執しようとい・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・折々鋭い稲妻の閃光が暗い闇を劈いて一瞬の間、周囲を青白い輝きの中に包みはしても、光りの消えたと同時に、またその暗い闇がすべてを領してしまう。 それと同様に、ときどきは、いかほど熾んな感激の焔に照らされはしても、彼女の生活の元来は暗かった・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・なんかと云ってその日は常よりも読経の時を長くし御線香も倍ほどあげたりして居た。 夜から私達は庭に出る度にキットこの花の中をのぞいてばかり居た。その中に小さい子供が風流熱にかかったりしたんでだれもかれも申し合わせたように花の事なんかは・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・せまい土間に、赤い紙を巻いた線香と、水にさしたしきみやその季節の花がすこしあって、一緒に行った大人が、お線香やしきみを、そこで買った。そして、西村氏と姓を書いて、矢車のすこし変形したような紋がついている手桶を出させ、さて、一行は、庫裏のよこ・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・独逸が潜航艇を皆引上げそうな事を云ったり、平和を要求したりするような顔をするが、実は、羊の皮を着た狼だ、要心しろ! と云うような事をしきりに云って居ります。 一九一八年十二月二日〔東京市本郷区駒込林町二一 中條葭江宛 ワシントンより・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・ 江戸っ子である漱石は、若いころ、よく寄席の話をきいたそうだ。専攻は人も知るとおりイギリス文学であった。それらの影響もあってか、漱石の文章は、主題の論理的な追求にかかわらず、一種のゆるやかに流れる話術をもっている。この講演にもその特色が・・・ 宮本百合子 「日本の青春」
・・・ お行儀を教えたり、根気のいる初等学科を教えたりすることは、皆、児童心理を専攻した家庭教師にまかされています。ロザリーと子供は、互から愉快ばかりを感じ合うものとして生活したのです。 ところが、長男が小学に入る頃から、先ず良人のハリが・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
出典:青空文庫