・・・……天麸羅のあとで、ヒレの大切れのすき焼は、なかなか、幕下でも、前頭でも、番附か逸話に名の出るほどの人物でなくてはあしらい兼ねる。素通りをすることになった。遺憾さに、内は広し、座敷は多し、程は遠い……「お誓さん。」 黒塀を――惚れた・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・わが四国全島にさらに一千方マイルを加えたるユトランドは復活しました、戦争によって失いしシュレスウィヒとホルスタインとは今日すでに償われてなお余りあるとのことであります。 しかし木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、畜類よりも、さらに貴きも・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・これ、進や、お前頭悪くしたんでないかッて云ったら、お母アの方ば見もしないで、窓の方ば見たり、自分の爪ば見たりして、ニヤ/\と笑うんだ……。」そこまで来ると、上田の母は声をあげて泣き出した。そして、しゃっくり/\云った、「ケイサツが進ばバカに・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・佐渡は、もうすぐそこに見えている。全島紅葉して、岸の赤土の崖は、ざぶりざぶりと波に洗われている。もう、来てしまったのだ。それにしては少し早すぎる。まだ一時間しか経っていない。旅客もすべて落ちついて、まだ船室に寝そべっている。甲板にも、四十年・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・メンコには、それぞれお角力さんの絵が画かれていて、東の横綱から前頭まで、また西の横綱から前頭まで、東西五枚ずつ、合計十枚、ある筈なんだが、一枚たりない。東の横綱がないんだ。どういうわけか、そこまでは僕も知らない。メンコ屋で、品切れになってい・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・とてもその人数の入るような広間は、恐らくニュウファウンドランド全島にもなかったでしょう。 もう気の早い信徒たちが二百人ぐらい席について待っていました。笑い声が波のように聞えました。やっぱり今朝のパンフレットの話などが多かったのでしょう。・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・深くはげ上ったかたい前頭。熱中して性急に話すにつれて、その主張をききての心の中へ刺しこもうとするように動き出す右の手と人さし指の独特な表情。引きしまって、ぼやついたところのない音声と、南方風なきれの大きい眦。話につれて閃く白眼。その顔のすべ・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫