・・・しかし、なおよくその代表のお方の打ち明けたお話を承ってみますと、このたびの教育会には、あの有名な社会思想家の小鹿五郎様がその疎開先のA市からおいでになって、何やら新しい思想に就いて講演をなさる、というご予定でございましたそうで、ところが運わ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・災に遭って、無条件降伏直前に、この部落へひょっこりやって来た女で、あの旅館のおかみさんの遠い血筋のものだとか、そうして身持ちがよろしくないようで、まだ子供のくせに、なかなかの凄腕だとかいう事でしたが、疎開して来たひとで、その土地の者たちの評・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・味い、かぜをひいたような気持になったが、病身の兄は、一向に平気で、さらに所望し、後正夢と蘭蝶を語ってもらい、それがすんでから、皆は応接間のほうに席を移し、その時に兄は、「こんな時代ですから、田舎に疎開なさって畑を作らなければならぬという・・・ 太宰治 「庭」
・・・多くの人々がその家族を遠い田舎に、いち早く疎開させているのを、うらやましく思いながら、私は金が無いのと、もう一つは気不精から、いつまでも東京の三鷹で愚図々々しているうちに、とうとう爆弾の見舞いを受け、さすがにもう東京にいるのがイヤになって、・・・ 太宰治 「薄明」
昭和二十年の八月から約一年三箇月ほど、本州の北端の津軽の生家で、所謂疎開生活をしていたのであるが、そのあいだ私は、ほとんど家の中にばかりいて、旅行らしい旅行は、いちども、しなかった。いちど、津軽半島の日本海側の、或る港町に・・・ 太宰治 「母」
・・・ 疎開しなければならぬのですけれど、いろいろの事情で、そうして主として金銭の事情で、愚図々々しているうちに、もう、春がやって来ました。 ことしの東京の春は、北国の春とたいへん似ています。 雪溶けの滴の音が、絶えず聞えるからです。・・・ 太宰治 「春」
・・・殊につい最近、東京から疎開して来たばかりの若い娘さんの眼には、もうとても我慢の出来ない地獄絵のように見えるかも知れない。しかし、御心配無用なんだ。あなたたちの御同情は、ありがたいけれども、しかし、僕たちの家庭にはまた僕たちの家庭のプライドが・・・ 太宰治 「春の枯葉」
れいの、璽光尊とかいうひとの騒ぎの、すこし前に、あれとやや似た事件が、私の身辺に於いても起った。 私は故郷の津軽で、約一年三箇月間、所謂疎開生活をして、そうして昨年の十一月に、また東京へ舞い戻って来て、久し振りで東京の・・・ 太宰治 「女神」
・・・その頃には日本の租界はなかったので、領事館を始め、日本の会社や商店は大抵美租界の一隅にあった。唯横浜正金銀行と三井物産会社とが英租界の最も繁華な河岸通にあったのだという。 美租界と英租界との間に運河があって、虹口橋とか呼ばれた橋がかかっ・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・いまだに疎開から家族のよびもどせない良人たちは、良人であると同時に、その自炊生活において妻である。そしてこれは全く不自然だと感じられているのである。 そうしてみると、良人の協力ということは、今あるままの労力のひどい台所仕事をそのまま男も・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
出典:青空文庫