・・・お父さんが動いても子供が大勢の場合には、まだ不充分で、女学校の一年、二年、ひどい場合には国民学校の上級生の小さい人達までが、自分の智慧で食物を見つけようと思うようになって来ています。疎開児童は田舎へ行って爆弾からは護られたけれども空腹からは・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
・・・ 家の女や子供たちが昨日疎開して、家のぐるりは森閑とし空がひろびろと感じられる。 古雑誌のちぎれを何心なくとり上げたら、普仏戦争でパリの籠城のはじまった頃のゴンクールの日記があった。 道端で籠を下げた物うりが妙な貝を売っている。・・・ 宮本百合子 「折たく柴」
・・・やっと女学校ぐらいの年頃で、父親の入獄中、疎開先の埼玉県の農家に一人で留守していた。夫人は早く死去されたとかきいた。さし入れ、その他の世話は、娘さんの稚い心くばりを、東京市内の某書店につとめていた或る人が扶けて、行っているという話をきいた。・・・ 宮本百合子 「行為の価値」
・・・手おくれにならないうちにと、東京から疎開荷物を送り出しはじめている人の話もきいた。ところがそれほど婦人に恐怖を与える戦争に対してあのころ、わたしは戦争がいやだ。わたしたちはどんなことがあっても戦争は拒絶する、と発言した婦人たちは、果して幾人・・・ 宮本百合子 「今年のことば」
・・・もうちょっと気がきいたような作家は、自分が、疎開している田舎で文化的な要求を持っている国民学校の先生が逢いにきていろいろの話をしてゆく。その国民学校の先生はリベラリストで、戦争の見とおしについて懐疑的な批判を持っている人です。そういう対話を・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・田舎に避けて暮す、ということも強制疎開などという言葉が出来なかった時分は、家内の相談という形をとり、しかもそれもひっそりとするような工合であった。東京の市民は東京を死守せよ、一歩も出さない、という風なこわい気風もあったのであった。 東京・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・日本全土に空襲の恐怖と疎開さわぎがはじまった。七月サイパン島で全員戦死の発表が行われ、侵略戦争の現実の姿がむき出されはじめた。この月に東條内閣は辞職して小磯、米内の協力内閣ができた。この年のはじめ国民総動員が行われ十七歳以上を兵役に編入・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・妻子を疎開させたから、研究所に寝泊りして自炊している吉岡は、自分が実験用の生きものにでもなっているように、隣室のベッドの下に泥だらけのものだの大根だのを押しこんで暮しているのであった。「吉岡君、なかなかおそいね」「送別会なんでしょう・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・兵火におびえる昔の百姓土民のように、あわれにこそこそと疎開小包をつくるよりさきに、わたしたちは落付いて観察し判断するべきいくつかの重大なことを持っていると思う。わたしたち自身を恐慌から救うために―― 日本人の心には、戦争を一つの「災難」・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・ 疎開、転入制限、これらも大幅に日本の家庭を破壊した。経済事情の極度の不安定。これも今日の離婚の動機をなす最も大きい理由である。これらの諸理由が離婚の動機になるほど、これまでの結婚というものが、日本では、つよい愛に立っての結合ではなくて・・・ 宮本百合子 「離婚について」
出典:青空文庫