・・・役所へ出勤する前、崖の中腹に的を置いて古井戸の柳を脊にして、凉しい夏の朝風に弓弦を鳴すを例としたが間もなく秋が来て、朝寒の或日、片肌脱の父は弓を手にした儘、あわただしく崖の小道を馳上って来て、皺枯れた大声に、「田崎々々! 庭に狐が居る。・・・ 永井荷風 「狐」
・・・どっと一度に、大勢の人の凱歌を上げる声。家中の者皆障子を蹴倒して縁側へ駈け出た。後で聞けば、硫黄でえぶし立てられた獣物の、恐る恐る穴の口元へ首を出した処をば、清五郎が待構えて一打ちに打下す鳶口、それが紛れ当りに運好くも、狐の眉間へと、ぐっさ・・・ 永井荷風 「狐」
・・・希臘羅馬以降泰西の文学は如何ほど熾であったにしても、いまだ一人として我が俳諧師其角、一茶の如くに、放屁や小便や野糞までも詩化するほどの大胆を敢てするものはなかったようである。日常の会話にも下がかった事を軽い可笑味として取扱い得るのは日本文明・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・隣村の茶店まで来た時そこには大勢が立ち塞って居るのを見た。隣村もマチであった。唄う声と三味線とが家の内から聞えて来る。彼はすぐに瞽女が泊ったのだと知った。大勢の後から爪先を立てて覗いて見ると釣ランプの下で白粉をつけた瞽女が二人三味線の調子を・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 生涯の大勢は構わないその日その日を面白く暮して行けば好いという人があるように、芝居も大体の構造なんか眼中におく必要がない、局部局部を断片的に賞翫すればよいという説――二宮君のような説ですが、まあその説に同意してみたらどんなものでしょう・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・ かくのごとき態度は全く俳句から脱化して来たものである。泰西の潮流に漂うて、横浜へ到着した輸入品ではない。浅薄なる余の知る限りにおいては西洋の傑作として世にうたわるるもののうちにこの態度で文をやったものは見当らぬ。オーステンの作物、ガス・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・同情はあるけれども駄菓子を落した小供と共に大声を揚げて泣くような同情は持たぬのである。写生文家の人間に対する同情は叙述されたる人間と共に頑是なく煩悶し、無体に号泣し、直角に跳躍し、いっさんに狂奔する底の同情ではない。傍から見て気の毒の念に堪・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・これらの準備からなる先生の『日本歴史』は、悉く材料を第一の源から拾い集めて大成したもので、儲からない保証があると同時に、学者の良心に対して毫も疚ましからぬ徳義的な著作であるのはいうまでもない。「余は人間に能う限りの公平と無私とを念じて、・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・ それは、鑿岩機さえ運転していないで、吹雪さえなければ、対岸までも聞える程の大声であった。そして、その小林は、秋山と三尺も離れないで、鑿の尖の太さを較べているのだった。「駄目だよ。あのインダラ鍛冶屋は。見ろよ、三尺鑿よりゃ六尺鑿の方・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・そして囁いた。「おれは盗んだのだ。何百万と云う貨物を盗んだ。おれはミリオネエルだ。そのくせかつえ死ななくてはならないのだ。」 一本腕は目を大きくみはった。そして大声を出して笑った。「ミリオネエルだ。あの、おめえがか。して見ると、珍らしい・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
出典:青空文庫