・・・それを一々枚挙するのはとうていわたしの堪えるところではない。が、半三郎の日記の中でも最もわたしを驚かせたのは下に掲げる出来事である。「二月×日 俺は今日午休みに隆福寺の古本屋を覗きに行った。古本屋の前の日だまりには馬車が一台止まっている・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・が、私は殊に、如何なる悲しみをもおのずから堪える、あわれにも勇ましい久米正雄をば、こよなく嬉しく思うものである。 この久米はもう弱気ではない。そしてその輝かしい微苦笑には、本来の素質に鍛錬を加えた、大いなる才人の強気しか見えない。更に又・・・ 芥川竜之介 「久米正雄」
・・・自分一人でさえ断れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落しに落ちてしまわなければなりません。そんな・・・ 芥川竜之介 「蜘蛛の糸」
・・・すると阿呆や悪党を除けば、何びとも何かに懺悔せずには娑婆苦に堪えることは出来ないのかも知れない。 又 しかしどちらの懺悔にしても、どの位信用出来るかと云うことはおのずから又別問題である。 「新生」読後・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・だから先生が教室へはいると同時に、期せずして笑を堪える声が、そこここの隅から起ったのは、元より不思議でも何でもない。 が、読本と出席簿とを抱えた毛利先生は、あたかも眼中に生徒のないような、悠然とした態度を示しながら、一段高い教壇に登って・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・魔とも、妖怪変化とも、もしこれが通魔なら、あの火をしめす宮奴が気絶をしないで堪えるものか。で、般若は一挺の斧を提げ、天狗は注連結いたる半弓に矢を取添え、狐は腰に一口の太刀を佩く。 中に荒縄の太いので、笈摺めかいて、灯した角行燈を荷ったの・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ ……………………「路の絶える。大雪の夜。」 お米さんが、あの虎杖の里の、この吹雪に……「……ただ一人。」―― 私は決然として、身ごしらえをしたのであります。「電報を――」 と言って、旅宿を出ました。 ・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・この外套氏が、故郷に育つ幼い時分には、一度ほとんど人気の絶えるほど寂れていた。町の場末から、橋を一つ渡って、山の麓を、五町ばかり川添に、途中、家のない処を行くので、雪にはいうまでもなく埋もれる。平家づくりで、数奇な亭構えで、筧の流れ、吹上げ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・女優に仕立てるには年が行き過ぎているし、一度芸者をしたものには、到底、舞台上の練習の困難に堪える気力がなかろう。むしろ断然関係を断つ方が僕のためだという忠告だ。僕の心の奥が絶えず語っていたところと寸分も違わない。 しかし、僕も男だ、体面・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・一方ではまたたいへんに損をするというようなぐあいで、みんなの気持ちがいつも一つではなかったから、怒るものもあれば、また喜ぶものがあり、中には泣くものまた笑うものがあるというふうで、その間に嫉妬、嘲罵の絶える暇もなかったのでありました。「・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
出典:青空文庫