・・・そう云う時は、ただでさえ小さな先生の体が、まるで空気の抜けた護謨風船のように、意気地なく縮み上って、椅子から垂れている両足さえ、ぶらりと宙に浮びそうな心もちがした。それをまた生徒の方では、面白い事にして、くすくす笑う。そうして二三度先生が訳・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ あの顔一目で縮み上る…… が、大人に道徳というはそぐわぬ。博学深識の従七位、花咲く霧に烏帽子は、大宮人の風情がある。「火を、ようしめせよ、燠が散るぞよ。」 と烏帽子を下向けに、その住居へ声を懸けて、樹の下を出しなの時、・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 不意に打つかりそうなのを、軽く身を抜いて路を避けた、お米の顔に、鼻をまともに突向けた、先頭第一番の爺が、面も、脛も、一縮みの皺の中から、ニンガリと変に笑ったと思うと、「出ただええ、幽霊だあ。」 幽霊。「おッさん、蛇、蝮?」・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・隅ずみまで力ではち切ったような伸び縮み。――そしてふと蝉一匹の生物が無上にもったいないものだという気持に打たれた。 時どき、先ほどの老人のようにやって来ては涼をいれ、景色を眺めてはまた立ってゆく人があった。 峻がここへ来る時によく見・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・心配てえものは智慧袋の縮み目の皺だとヨ、何にもなりゃあしねえわ。「だって女の気じゃあいくらわたしが気さくもんでも、食べるもん無し売るもんなしとなるのが眼に見えてちゃあ心配せずにゃあいられないやネ。「ご道理千万に違えねえ、これから売る・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・たと俊雄はまた顫えて天にも地にも頼みとするは後なる床柱これへ凭れて腕組みするを海山越えてこの土地ばかりへも二度の引眉毛またかと言わるる大吉の目に入りおふさぎでござりまするのとやにわに打ちこまれて俊雄は縮み上り誠恐誠惶詞なきを同伴の男が助け上・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・が、そのときには、実際、お隣りの家の燃えている軒と、私の頬杖ついている窓縁とは、二間と離れていず、やがてお隣りの軒先の柿の木にさえ火が燃え移って、柿の枯葉が、しゃあと涼しい音たてて燃えては黒くちりちり縮み、その燃えている柿の一枝が、私の居る・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・それが、空の光の照明度がある限界値に達すると、多分細胞組織内の水圧の高くなるためであろう、螺旋状の縮みが伸びて、するすると一度にほごれ拡がるものと見える。それで烏瓜の花は、云わば一種の光度計のようなものである。人間が光度計を発明するよりもお・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・螺旋状の縮みが伸びて、するすると一度にほごれ広がるものと見える。それでからすうりの花は、言わば一種の光度計のようなものである。人間が光度計を発明するよりもおそらく何万年前からこんなものが天然にあったのである。 からすうりの花がおおかた開・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・これが伸び切り、縮み切りになるときがわれわれの最後の日である。 弛緩の極限を表象するような大きな欠伸をしたときに車が急に止まって前面の空中の黄色いシグナルがパッと赤色に変った。これも赤のあとには青が出、青のあとにはまた赤が出るのである。・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
出典:青空文庫