・・・家の小さいことは地積の関係ばかりでなく、代々この地方の農民が、決して、祖先からの骨をこの土地に埋めて来た稲田から、地主のように儲けたことは唯一度もなかったことを告げている。 稲田の間を駛りながら、私はつい先頃新聞に出た「百万人の失業者」・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・ ついに市長は大いに困ってその筋に上申して指揮を仰ぐのほかなしと告げて席を立った。 この事件のうわさはたちまち広まった。老人が役所を出ずるや、人々はその周囲を取り囲んでおもしろ半分、嘲弄半分、まじめ半分で事の成り行きを尋ねた。しかし・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・と言って権右衛門に告げた。権右衛門はまだ役所から下がって、衣服も改めずにいたので、そのまま館へ出て忠利に申し上げた。忠利は「尤ものことじゃ。切腹にはおよばぬ」と言った。このときから小姓は権右衛門に命を捧げて奉公しているのである。 小姓は・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・訝りながら床をはなれて忍藻の母は身繕いし、手早く口を漱いて顔をあらい、黄楊の小櫛でしばらく髪をくしけずり、それから部屋の隅にかかッている竹筒の中から生蝋を取り出して火に焙り、しきりにそれを髪の毛に塗りながら。「忍藻いざ早う来よ。蝋鎔けた・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 母は十分に口が利けなくなッたので仕方なく手真似で仔細を告げ知らせた。告げ知らせると平太の顔はたちまちに色が変わッた。「さらばあのくさりかたびらの……」 言いかけたがはッと思ッて言葉を止めた。けれどこなたは聞き咎めた。「和主・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・栖方は黄楊の葉の隙から見える後のその室を指して、「あれは少将以上の食堂ですが、何か会議があるらしいですよ。」と説明した。大きな建物全体の中でその一室だけ煌煌と明るかった。爽やかな白いテーブルクロスの間を白い夏服の将官たちが入口から流れ込・・・ 横光利一 「微笑」
・・・そこで二人は都電で六本木まで行くことにしたが、栖方は、自動車の番号を梶に告げ、街中で見かけたときはその番号を呼び停めていつでも乗ってくれと云ったりした。電車の中でも栖方は、二十一歳の自分が三十過ぎの下僚を呼びつけにする苦痛を語ってから、こう・・・ 横光利一 「微笑」
・・・初めて私がランプを見たのは、六つの時、雪の降る夜、紫色の縮緬のお高祖頭巾を冠った母につれられて、東京から伊賀の山中の柘植という田舎町へ帰ったときであった。そこは伯母の家で、竹筒を立てた先端に、ニッケル製の油壺を置いたランプが数台部屋の隅に並・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・また、藪の中の黄楊の木の胯に頬白の巣があって、幾つそこに縞の入った卵があるとか、合歓の花の咲く川端の窪んだ穴に、何寸ほどの鯰と鰻がいるとか、どこの桑の実には蟻がたかってどこの実よりも甘味いとか、どこの藪の幾本目の竹の節と、またそこから幾本目・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・新王はただ一人で妃の探索に出かけ、妃の夢の告げによって山中で妃の白骨と十二歳になった王子とを見いだすのである。そこで不老上人に乞うて妃を元の姿に行ないかえしてもらうということが、話の本筋にはいってくる。妃の蘇りにとって障げとなったのは、妃の・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫