・・・ 何か一つの転機が、彼女の上に新らしい刺戟と感動とを齎しさえすれば、一旦は霜枯れたそれ等の華も、目覚ましい色をもって咲き満ちる可能性が、一つ一つの細胞の奥に巣籠っていたのである。 そして、この非常に要求されていた一転機として、彼女の・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・Monet なんぞは同じ池に同じ水草の生えている処を何遍も書いていて、時候が違い、天気が違い、一日のうちでも朝夕の日当りの違うのを、人に味わせるから、一枚見るよりは較べて見る方が面白い。それは巧妙な芸術家の事である。同じモデルの写生を下手に・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・その日は日曜日の午前で天気が好かった。ユリアはやはり昔の色の蒼い、娘らしい顔附をしている。ただ少し年を取っただけである。ツァウォツキイが来た時、ユリアは平屋の窓の傍で縫物をしていた。窓の枠の上には赤い草花が二鉢置いてある。背後には小さい帷が・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・「きょうは天気がよいで気持好かろが、ここにいたらお前、ええ隠居さんやがな。」 彼女は貸した安次の着ている蒲団を一寸見た。そして彼が死んでからまだ役に立つかどうかと考えたが、彼女の気持が良ければ良いだけ、安次を世話した自分の徳が、死ん・・・ 横光利一 「南北」
・・・この苦痛は主我の思想によって転機に逢会するまで常に心を刺していたのであるが、転機とともに一時姿を隠した。自分はそれによって大いなる統一を得たつもりであった。しかしやがてまた苦痛は始まった。そうしてそれが追々強まって行くとともに、ちょうど夜明・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・ 初めて早稲田南町の漱石山房を訪れたのは、大正二年の十一月ごろ、天気のよい木曜日の午後であったと思う。牛込柳町の電車停留場から、矢来下の方へ通じる広い通りを三、四町行くと、左側に、自動車がはいれるかどうかと思われるくらいの狭い横町があっ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫