・・・一体まあ東京を経ってから今日までどうしておいでだったの?」「さあ、いろいろ談せば長いけれど……あれからすぐ船へ乗り込んで横浜を出て、翌年の春から夏へ、主に朝鮮の周囲で膃肭獣を逐っていたのさ。ところが、あの年は馬鹿にまた猟がなくて、これじ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・というのであった、彼も頗る不思議だとは思ったが、ただそれくらいのことに止まって、別に変った事も無かったので、格別気にも止めずに、やがて諸国の巡業を終えて、久振で東京に帰った、すると彼は間もなく、周旋する人があって、彼は芽出度く女房を娶った。・・・ 小山内薫 「因果」
その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。 十銭白銅六つ一銭銅貨三つ。それだけを握って、大阪から東京まで線路伝いに歩いて行こうと思ったのでした。思えば正気の沙汰ではない。が、むこう見ずはもともと私にとっては生れつきの気性・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・十一頁にわたり、支店や直営店がいかに巧妙に全快写真を探しあつめたかを、御丁寧に統計まであげて、素っ破ぬいている。 なお、同書百七十六頁から百七十九頁までには、全快写真の主が日ならずして、死んだとか、とくに死んでいる筈の病人が、どういう手・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・それがこの三年以来の暑気だという東京の埃りの中で、藻掻き苦しんでいる彼には、好い皮肉であらねばならなかった。「いや、Kは暑を避けたんじゃあるまい。恐らくは小田を勿来関に避けたという訳さ」 斯う彼等の友達の一人が、Kが東京を発った後で・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・それは東京へ出て苦学していたその家の二男が最近骨になって帰って来たからである。その青年は新聞配達夫をしていた。風邪で死んだというが肺結核だったらしい。こんな奇麗な前庭を持っている、そのうえ堂々とした筧の水溜りさえある立派な家の伜が、何故また・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・ 吉田は平常よく思い出すある統計の数字があった。それは肺結核で死んだ人間の百分率で、その統計によると肺結核で死んだ人間百人についてそのうちの九十人以上は極貧者、上流階級の人間はそのうちの一人にはまだ足りないという統計であった。勿論こ・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ 親子、国色、東京のもの、と辰弥は胸に繰り返しつつ浴場へと行きぬ。あとより来るは布袋殿なり。上手に一つ新しく設らえたる浴室の、右と左の開き扉を引き開けて、二人はひとしく中に入りぬ。心も置かず話しかくる辰弥の声は直ちに聞えたり。 ほど・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・もっともこの二人は、それぞれ東京で職を持って相応に身を立てていますから、年に二度三度会いますが、私とは方面が違うので、あまり親しく往来はしないのです。けれども、会えばいつも以前のままの学友気質で、無遠慮な口をきき合うのです。この日も鷹見は、・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・たまに上京したとき岩波君がせめて東京見物させようと思っても、用事がすむとさっさと帰郷してしまった。息子を勉強させたいばかりに働いていたのだ。そして岩波君が志操ある書店主として立派に成功したとき、孝養を思っても母はもう世を去っていた。 ガ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
出典:青空文庫