・・・とぼとぼ河堀口へ帰って行く道、紙芝居屋が、自転車の前に子供を集めているのを見ると、ふと立ち停って、ぼんやり聴いていたくらい、その日の私は途方に暮れていました。ところが、聴いているうちに、ふと俺ならもっと巧く喋れるがと思ったとたん、私はきゅう・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・廻転機のように絶えず廻っているようで、寝ている自分の足の先あたりを想像すれば、途方もなく遠方にあるような気持にすぐそれが捲き込まれてしまう。本などを読んでいると時とすると字が小さく見えて来ることがあるが、その時の気持にすこし似ている。ひどく・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・夫婦途方に暮れて実に泣くばかり。思えば母が三円投出したのも、親子の縁を切るなど突飛なことを怒鳴って帰ったのも皆なその心が見えすく。「直ぐ行って来る。親を盗賊に為ることは出来ない。お前心配しないで待ておいで、是非取りかえして来るから」と自・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・新しく、とらわれずに真理を求めようとする年少の求道者日蓮にとってはそのいずれをとって宗とすべきか途方に暮れざるを得なかった。のみならず、かくまちまちな所説が各々真理を主張することが真理そのものの所在への懐疑に導くことはいつの時代でも同じこと・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・初対面の時、じいさんとばあさんとは、相手の七むずかしい口上に、どう応酬していゝか途方に暮れ、たゞ「ヘエ/\」と頭ばかり下げていた。それ以来両人は大佐を鬼門のように恐れていた。 またしても、むずかしい挨拶をさせられた。両人は固くなって、ぺ・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・ 秋は早い奥州の或山間、何でも南部領とかで、大街道とは二日路も三日路も横へ折れ込んだ途方もない僻村の或寺を心ざして、その男は鶴の如くにせた病躯を運んだ。それは旅中で知合になった遊歴者、その時分は折節そういう人があったもので、律詩の一、二・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・太郎は、と見ると、そこに争っている弟や妹をなだめようでもなく、ただ途方に暮れている。婆やまでそこいらにまごまごしている。 私は何も知らなかった。末子が何をしたのか、どうして次郎がそんなにまで平素のきげんをそこねているのか、さっぱりわから・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・しかして途方にくれた母子二人は二十匹にも余る野馬の群れに囲まれてしまいました。 子どもは顔をおかあさんの胸にうずめて、心配で胸の動悸は小時計のようにうちました。「私こわい」 と小さな声で言います。「天に在します神様――お助け・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・彼女の傍によって来てやさしく角を腕などになすりつけ、言葉に云えない途方に暮れた様子で、慰めようとするのでした。 此等二匹の牛のほかに、山羊や小猫もいました。けれども、スバーは、牛共に対するほどの親しみは持っていませんでした。彼等の方では・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・自分で勝手に、自分に約束して、いまさら、それを破れず、東京へ飛んで帰りたくても、何かそれは破戒のような気がして、峠のうえで、途方に暮れた。甲府へ降りようと思った。甲府なら、東京よりも温いほどで、この冬も大丈夫すごせると思った。 甲府へ降・・・ 太宰治 「I can speak」
出典:青空文庫