・・・と、両手を差し出しながら早速、上り框にとんで来た。「お父う、甘いん。」弟の方は、あぶない足どりでやって来ながら、与助の膝にさばりついた。「そら、そら、やるぞ。」 彼が少しばかりの砂糖を新聞紙の切れに包んで分けてやると、姉と弟とは・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・七日には、なな草のあえもの、十五日には朝早くとんどをして茅の箸で小豆粥を食べる。それがすむと、豆撒きの節分を待つ。 四季折々の年中行事は、自然に接し、又その中へはいりこみ、そしてそれをたのしむ方法として、祖先が長い間かかってつくりあげた・・・ 黒島伝治 「四季とその折々」
・・・横浜、小田原なぞはほとんど全部があとかたもなく焼けほろびてしまいました。 これまで世界中で一ばんはげしかった地震火災は今から十五年前に、イタリヤのメッシーナという重要な港とその附近とで十四万人の市民を殺した大地震と、十七年前、サンフラン・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・そして、ひょい/\/\と五足六足歩いたと思いますともう五、六里向うへとんでいました。それからまたひょい/\/\と、またたく間に目の前へかえって来ました。王子は、「いや、これは便利な男がいたものだ。」と、すっかりかんしんして、「これか・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・とおりに何かへんな物音がすると、すぐにとんでいって、じいっと見きわめをつけ何でもないとわかればのそのそかえって、店先にすわっているという調子です。 日がはいると、肉屋はくちぶえをならしてよび入れました。そして、やさしく背中をたたいたあと・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・ で鳩はまた百姓の言ったかわいそうな奥さんが夏を過ごしている、大きないなかの住宅にとんで行きました。その時奥さんは縁側に出て手ミシンで縫物をしていました。顔は百合の花のような血の気のない顔、頭の毛は喪のベールのような黒い髪、しかして罌粟・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・額の油汗拭わんと、ぴくとわが硬直の指うごかした折、とん、とん、部屋の外から誰やら、ドアをノックする。ヒロオは、恐怖のあまり飛びあがった。ノックは、無心に、つづけられる。とん、とん、とん。ヒロオはその場で気が狂ったか、どうか、私はその後の筋書・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・へんな話ですけれども、私は、友人のところであの小説を読んで、それから酒を呑んで、そのうちに、おう、おう、大声を放って泣いて、途中も大声で泣きながら家へかえって、ふとんを頭からかぶって寝て、ぐっすりと眠りました。朝起きたときには、全部忘却して・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・たとえば流氷のようなものでも舷側で押しくずされるぐあいや、海馬が穴から顔をだす様子などから、その氷塊の堅さや重さや厚さなどが、ほとんど感覚的に直観される。雪原の割れ目などでも、橇で乗り越して行く時にくずれるさまなどから、その割れ目の状況や雪・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・尤も科学者の中には往々そういう大事な根本義を忘れて、自分の既得の知識だけでは決して不可能を証明することの出来ない事柄を自分の浅はかな独断から否定してしまって、あとでとんだ恥をかくという例もあえて稀有ではない。こうした独断的否定はむしろ往々に・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
出典:青空文庫