・・・途端に、どういうものか男の顔に動揺の色が走った。そして、ひきつるような苦痛の皺があとに残ったので、びっくりして男の顔を見ていると、男はきっとした眼で私をにらみつけた。 しかし、彼はすぐもとの、鈍重な、人の善さそうな顔になり、「肺やっ・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・自分の作のどういう点がほんとに彼を感動さしたのか――それは一見明瞭のようであって、しかしどこやら捉えどころのない暗い感じだった。おそらくあの作の持っている罪業的な暗い感じに、彼はある親味と共鳴とを感じたのでもあろうが、それがひどく欠陥のある・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・なぜとはどういう心だ。誉めていいから誉めるのではないか。と父親は煙草を払く。それだっても、他人ではありませぬか。と思いありげなる娘の顔。うむ、分った。綱雄を贔負せぬのが気に入らぬというのか。なるほどそれは御もっともの次第だ。いやもう綱雄は見・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ この時まで自分はチョークを持ったことがない。どういう風に書くものやら全然不案内であったがチョークで書いた画を見たことは度々あり、ただこれまで自分で書かないのは到底まだ自分どもの力に及ばぬものとあきらめていたからなので、志村があの位い書・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・しかし監督がよければ、演出次第で芝居としても成功しないはずはないと思うのだが、どういうものか。 ともかくもこの戯曲は純情がどれだけの作を産み得るかの指標といっていいだろう。それを取り去れば、この作はつまらないものだ。だから反言や、風刺や・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・ 曹長は、それから、彼の兄弟のことや、内地へ帰ってからどういう仕事をしようと思っているか、P村ではどういう知人があるか、自分は普通文官試験を受けようと思っているとか、一時間ばかりとりとめもない話をした。曹長は現役志願をして入営した。曹長・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ ところが今日はどういうものであろう。その一眼が自分には全く与えられなかった。夫はまるで自分というものの居ることを忘れはてているよう、夫は夫、わたしはわたしで、別々の世界に居るもののように見えた。物は失われてから真の価がわかる。今になっ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・そしたら、お父さんはしばらく考えていましたが、とッてもこわい顔をして、み国のためッてどういう事だか、先生にきいてこいと云うんです。後で、男のお父さんが涙をポロポロこぼして、あしたからコジキをしなければ、モウ食って行けなくなった、それに私もつ・・・ 小林多喜二 「級長の願い」
・・・明治年代も終りを告げて、回顧の情が人々の心の中に浮んで来た時に、どういう人の仕事を挙げるかという問に対しては、いつでも私は北村君を忘れられない人の一人に挙げて置いた。北村君の一番終いの仕事は、民友社から頼まれて書いたエマルソンの評伝であった・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・昨夜小母さんがにわかに黙ってしまったのは、眠いからばかりではなかったらしい。どういうことなのであろうかとしきりに考えてみる。 後から鈴の音が来る。自分はわが考えの中で鳴るのかと思う。前から藁を背負った男が来る。後で、「ごめんなんせ」・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫