・・・ 婆さんはどこからとり出したか、眼をつぶった妙子の顔の先へ、一挺のナイフを突きつけました。「さあ、正直に白状おし。お前は勿体なくもアグニの神の、声色を使っているのだろう」 さっきから容子を窺っていても、妙子が実際睡っていることは・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・如丹はナイフの切れるのに、大いに敬意を表していた。保吉はまた電燈の明るいのがこう云う場所だけに難有かった。露柴も、――露柴は土地っ子だから、何も珍らしくはないらしかった。が、鳥打帽を阿弥陀にしたまま、如丹と献酬を重ねては、不相変快活にしゃべ・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・ ……煙草の煙、草花のにおい、ナイフやフォオクの皿に触れる音、部屋の隅から湧き上る調子外れのカルメンの音楽、――陳はそう云う騒ぎの中に、一杯の麦酒を前にしながら、たった一人茫然と、卓に肘をついている。彼の周囲にあるものは、客も、給仕も、・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・自分の席に坐っていながら僕の眼は時々ジムの卓の方に走りました。ナイフで色々ないたずら書きが彫りつけてあって、手垢で真黒になっているあの蓋を揚げると、その中に本や雑記帳や石板と一緒になって、飴のような木の色の絵具箱があるんだ。そしてその箱の中・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・ホテルからは、ナイフやフォオクや皿の音が聞える。投げられた魚は、地の上で短い、特色のある踊をおどる。未開人民の踊のような踊である。そして死ぬる。 小娘は釣っている。大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て釣っている。 直き傍に腰・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・じっと高峰を見詰めたるまま、胸に臨めるナイフにも眼を塞がんとはなさざりき。 と見れば雪の寒紅梅、血汐は胸よりつと流れて、さと白衣を染むるとともに、夫人の顔はもとのごとく、いと蒼白くなりけるが、はたせるかな自若として、足の指をも動かさざり・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・ と呻くが疾いか、治兵衛坊主が、その外套の背後から、ナイフを鋭く、つかをせめてグサと刺した。「うーむ。」と言うと、ドンと倒れる。 獺橋の婆さんが、まだ火のない屋台から、顔を出してニヤリとした。串戯だと思ったろう。「北国一だ―・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・(腹がけのどんぶりより、錆びたるナイフを抽出画家 ああ、奥さん。夫人 この人と一所に行くのです。――このくらいなものを食べられなくては。……人形使 やあ、面白い。俺も食うべい。画家 (衝と立ちて面――南無大師遍照金剛・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・安全剃刀、レザー、ナイフ、ジャッキその他理髪に関係ある品物を商っているのだから、やはり理髪店相手の化粧品を商っていた柳吉には、いちばん適しているだろうと骨折ってくれた、その手前もあった。門口の狭い割に馬鹿に奥行のある細長い店だから昼間なぞ日・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ お昼すぎ、飯盒で炊いた飯を食い、コック上りの吉田が豚肉でこしらえてよこしたハムを罐切りナイフで切って食った。浜田は、そのあまりを、新しい手拭いに包んで、××兵にむかって投げてやった。「そら、うめえものをやるぞ!」と、彼は支那語で叫・・・ 黒島伝治 「前哨」
出典:青空文庫