・・・ドイツの国民性を解剖し、ワイマール共和国の功罪を論じ、一知識人の日記の形でナチス運動の発展のあとをたどり、ナチス以外のドイツが、ヒトラー打倒のためにどうたたかっているかを訴えた。「野蛮人の学校」では、ナチス治下の教育が、どんなにドイツの少年・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・などを発表し、菊池寛が「無名作家の日記」を発表したりした時代であった。婦人作家として、野上彌生子が「二人の小さきヴァガボンド」を発表し、ヨーロッパ風な教養と中流知識人の人道的な作風を示した。「焙烙の刑」その他で、女性の自我を主張し、情熱を主・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・春先、まだ紫陽花の花が開かず、鮮やかな萌黄の丸い芽生であった頃、青桐も浅い肉桂色のにこげに包まれた幼葉を瑞々しい枝の先から、ちょぽり、ちょぽりと見せていた。 浅春という感じに満ちて庭を彼方此方、歩き廻りながら日を浴び、若芽を眺めるのは、・・・ 宮本百合子 「透き徹る秋」
・・・全唐詩話 桐薪唐詩紀事 玉泉子六一詩話 南部新書滄浪詩話 握蘭集彦周詩話 金筌集三山老人語録 漢南真稿雪浪斎日記 温飛卿詩集・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・細字で日記を附ける。毎日同じ時刻に刀剣に打粉を打って拭く。体を極めて木刀を揮る。婆あさんは例のまま事の真似をして、その隙には爺いさんの傍に来て団扇であおぐ。もう時候がそろそろ暑くなる頃だからである。婆あさんが暫くあおぐうちに、爺いさんは読み・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・そうして十月十日の日記には「午前井上先生を訪う。先生の日本哲学をかける小冊子を送らる。……元良先生を訪う。小生の事は今年は望みなしとの事なり」と記されている。多分東京大学での講義のことであろう。この学期から初めて講師になって哲学の講義を受け・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫