・・・朝っぱらから酒がはいっているらしく、顔じゅうあぶらが浮いていて、雨でもないのにまくり上げた着物の裾からにゅっと見えている毛もじゃらの足は太短かく、その足でドスンドスンと歩いて行く。歩きながら、何を思いだすのか、一人でにやっと不気味な笑いを笑・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・あの人は無理に笑ってみせようと努めたようだが、ひくひく右の頬がひきつって、あの人の特徴ある犬歯がにゅっと出ただけのことである。 私はあさましく思い、「あなたよりは、あなたの奥さんの方が、きっぱりして居るようです。私に決闘を申込んで来まし・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ くだんの新内、薄化粧の小さな顔をにゅっと近よせ、あたりはばかるひそひそ声で、米屋、米屋、と囁いた。そこへ久保田万太郎があらわれた。その店の、十の電燈のうち七つ消されて、心細くなったころ、鼻赤き五十を越したくらいの商人が、まじめくさってはい・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・を、ひた隠しに隠して、にゅっと出る、それを、並々ならぬ才能と見做す先輩はあわれむべき哉、芸術は試合でないのである。奉仕である。読むものをして傷つけまいとする奉仕である。けれども、傷つけられて喜ぶ変態者も多いようだからかなわぬ。あの座談会の速・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・顔だけ出たのではなく、びっくり箱のふたがあいたように、蓬々の頭と大きい黒い顔と、ぼろをまとった半分むきだしの肩とが、いちどに、にゅっと深い草の中から現われた。わたしがとまった地点のさきは、草にかくれて見えなかったが、ゆるい凹地になっているら・・・ 宮本百合子 「道灌山」
出典:青空文庫