・・・民子もそう思った事はその素振りで解る。ここまで話が迫ると、もうその先を言い出すことは出来ない。話は一寸途切れてしまった。 何と言っても幼い両人は、今罪の神に翻弄せられつつあるのであれど、野菊の様な人だと云った詞についで、その野菊を僕はだ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「そうでないさ、東京者にこの趣味なんぞが解るもんか」「田舎者にだって、君が感じてる様な趣味は解らしない。何にしろ君そんなによくば沢山やってくれ給え」「野趣というがえいか、仙味とでも云うか。何んだかこう世俗を離れて極めて自然な感じ・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ウヌ生ふざけて……親不孝ものめが、この上にも親の面に泥を塗るつもりか、ウヌよくも……」 おとよは泣き伏す。父はこらえかねた憤怒の眼を光らしいきなり立ち上がった。母もあわてて立ってそれにすがりつく。「お千代やお千代や……早くきてくれ」・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・余り名文ではないが、淡島軽焼の売れた所以がほぼ解るから、当時の広告文の見本かたがた全文を掲げる。私店けし入軽焼の義は世上一流被為有御座候通疱瘡はしか諸病症いみもの決して無御座候に付享和三亥年はしか流行の節は御用込合順番札にて差上候儀・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・を近づけないで門前払いを喰わすを何とも思わないように噂する人があるが、それは鴎外の一面しか知らない説で、極めてオオプンな、誰に対しても城府を撤して奥底もなく打解ける半面をも持っていたのは私の初対面でも解る。若い人が常に眷いて集まったので推し・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ それは三、四年前に、マローの『ファウスト』とかスペンサーの或る作とかを頻りに耽読していられた事から見ても解るであろう。 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・高誼に対して済まぬから、年長者の義務としても門生でも何でもなくても日頃親しく出入する由縁から十分訓誡して目を覚まさしてやろうと思い、一つはYを四角四面の謹厳一方の青年と信じ切らないまでも恩人の顔に泥を塗る不義な人間とも思わなかったのが裏切ら・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・元来これは絵画の領域に属するもので、絵画の上ではあらゆる物象だの、影だのを色彩で以て平たい板の上に塗るので、時間的に事件を語っているものではない。併し、それが最近の色彩派になって来ると、絵画が動くようなところに進んでいると思う。 例えば・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・「ばか言え、お前なぞに何が解る……」彼は平気を装ってこう言っているが、やはり心の中は咎められた。…… 下の谷間に朝霧が漂うて、アカシアがまだ対の葉を俯せて睡っている、――そうした朝早く、不眠に悩まされた彼は、早起きの子供らを伴れて、・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ 心の弱い者が悪事を働いた時の常として、何かの言訳を自分が作らねば承知の出来ないが如く、自分は右の遺失た人の住所姓名が解るや直ぐと見事な言訳を自分で作って、そして殆ど一道の光明を得たかのように喜こんだ。 一先拝借! 一先拝借して自分・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫