用紙節約から廃刊になるということはさけがたいことながらやはりそれぞれにつながる編輯者のこれ迄の御骨折りや読者の好意について感想を新しくいたします。これ迄の足かけ八年間にこの雑誌のつくして来た文化の上での意義が読者の生活の裡・・・ 宮本百合子 「終刊に寄す」
・・・『明六雑誌』というものは明治七年三月に第一号が出て翌八年十一月四十三号まで出して廃刊になった。この『明六雑誌』第二十五号に出た西周の「知説」という論文の一部が、文学の本質、ジャンル等についての西洋学説が日本に紹介された最初のものであったとい・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 日本文学に響いた能動精神は、社会的行動の面で一貫性をもち得ない必然をはらんでいたこと、従って文学として理論をも持ちかねたことから幾何もなく『行動』も廃刊となって、その標語は文学におけるヒューマニズムという広汎な野づらへ押し出されたので・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・それは、仏像拝観に訪ねた私たちを案内したりもてなしたりしてくれる僧侶が、大概ごく若いのにまるで大人ぶり、それも一人前の坊さんぶるのではない軽薄な美術批評家ぶって、小癪な口を利き立てる淋しさである。やっと十九か二十ぐらいの、修業ざかりと思われ・・・ 宮本百合子 「宝に食われる」
・・・「どちらでもよろしいのです。拝観さえ出来れば」 すると、爺さん、名刺を見ようともせず私にかえし「拝観なら、私でええ。今、葬式で皆お留守だ。そこの右の方から入って見なさい。木の仕切りの中へ入りさえしなければ勝手に見なさってええ」・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・一人の爺さんと、拝観に来たらしいカーキの兵卒がいる。私共は、永山氏からの名刺を通じた。「日本のお方か、西洋のお方か、どちらへやるかね」「どちらでもいいのです。――拝観出来れば……」 すると、爺さんは名刺をそのまま私にかえしながら・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・大学新聞は廃刊させられるようになった。法政大学新聞もやがて同じ過程をたどったのだけれども法政大学新聞は最後まで出来る限り、思想の権利、発言の権利、理性の判断する権利を守ろうと努力していて一九三七・八・九年ごろ言論抑圧の困難とたたかいながら進・・・ 宮本百合子 「一つの灯」
・・・『女性改造』の発刊の言葉には、真摯なその熱情があふれていたのにわずか数年の後、『女性改造』は廃刊され、『婦人公論』は急角度に従来ありきたった婦人雑誌の傾向に歩みよらなければならなかったというのは、どういう理由によるものであったろうか。 ・・・ 宮本百合子 「婦人の読書」
出典:青空文庫