・・・中の女の顔を蚯蚓腫れだらけにしたと言うことです。 半之丞の豪奢を極めたのは精々一月か半月だったでしょう。何しろ背広は着て歩いていても、靴の出来上って来た時にはもうその代も払えなかったそうです。下の話もほんとうかどうか、それはわたしには保・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・この顔中紫に腫れ上った「物」は、半ば舌を吐いたまま、薄眼に天井を見つめていた。もう一人は陳彩であった。部屋の隅にいる陳彩と、寸分も変らない陳彩であった。これは房子だった「物」に重なりながら、爪も見えないほど相手の喉に、両手の指を埋めていた。・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・しかも一人は眉間のあたりを、三右衛門は左の横鬢を紫色に腫れ上らせたのである。治修はこの二人を召し、神妙の至りと云う褒美を与えた。それから「どうじゃ、痛むか?」と尋ねた。すると一人は「難有い仕合せ、幸い傷は痛みませぬ」と答えた。が、三右衛門は・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・鏡に向って見ると、左の頬が大分腫れている。いびつになった顔は、確にあまり体裁の好いものじゃない。そこで右の頬をふくらせたら、平均がとれるだろうと思って、そっちへ舌をやって見たが、やっぱり顔は左の方へゆがんでいる。少くとも今日一日、こんな顔を・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・ 私たちの一向に気のない事は――はれて雀のものがたり――そらで嵐雪の句は知っていても、今朝も囀った、と心に留めるほどではなかった。が、少からず愛惜の念を生じたのは、おなじ麹町だが、土手三番町に住った頃であった。春も深く、やがて梅雨も近か・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・――…………………………はれて逢われぬ恋仲に、人に心を奥の間より、しらせ嬉しく三千歳が、このうたいっぱいに、お蔦急ぎあしに引返す。早瀬、腕を拱きものおもいに沈む。お蔦 貴方、今帰ってよ。兄さん。早瀬 ああ・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・であろう、何ぜなれば同じ食事のことであるから其興味的研究の進歩が、遂に或方向に類似の成績を見るに至るは当然の理であるからである、日本の茶の湯はどこまでも賓主的であるが、欧州人のは賓主的にも家庭的にも行はれて甚だ自然である、日本の茶の湯は特別・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ 母はそういっても、どこか悪いところがあるかしらんと思ったらしく、省作の背へ回って見上げ見おろしたが、なるほど両手の肘と手くびが少し腫れてるようだけど、やっぱりくたぶれたに違いないという。「そうかしら、なんだか知らないけど、ばかに腰・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 寝ころんでいたせいもあろう、あたまは重く、目は充血して腫れぼッたい。それに、近ごろは運動もしないで、家にばかり閉じ籠り、――机に向って考え込んでいたり――それでなければ、酒を飲んでいたり――ばかりするのであるから、足がひょろひょろして・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 空は 青く はれて いました。あの はこの ついた 車を ひいて、おじいさんは どこを あるいて いるのかと おもいました。「武ちゃん、やきゅうを しない?」と、ふいに 年ちゃんが かたを たたきました。「いま、これを う・・・ 小川未明 「秋が きました」
出典:青空文庫