一 枇杷の実は熟して百合の花は既に散り、昼も蚊の鳴く植込の蔭には、七度も色を変えるという盛りの長い紫陽花の花さえ早や萎れてしまった。梅雨が過ぎて盆芝居の興行も千秋楽に近づくと誰も彼も避暑に行く。郷里へ帰る。そして炎暑の明い寂寞が・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・という端物の書き出しには、パリーのある雑誌に寄稿の安受け合いをしたため、ドイツのさる避暑地へ下りて、そこの宿屋の机かなにかの上で、しきりに構想に悩みながら、なにか種はないかというふうに、机のひきだしをいちいちあけてみると、最終の底から思いが・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・都会から来た避暑客は、既に皆帰ってしまって、後には少しばかりの湯治客が、静かに病を養っているのであった。秋の日影は次第に深く、旅館の侘しい中庭には、木々の落葉が散らばっていた。私はフランネルの着物を着て、ひとりで裏山などを散歩しながら、所在・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・どこにでも避暑地と云うものがあった。日本には軽井沢があり、印度にはダージーリンがあり、アメリカには、ロッキーがあった。「人間どもは、何だって、暑い暑いとぬかしながら、暑い処にコビリついているんだ。みんな足をとられてやがる。女房子に足をと・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・然しながら実は私は六月からこちらへ避暑に来て居りました。そしてこの大祭にぶっつかったのですから職業柄私の方ではほんの余興のつもりでしたが少し邪魔を入れて見ようかと本社へ云ってやりましたら社長や何かみな大へん面白がって賛成して運動費などもよこ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・彼はコレクティーブの秘書ソモフの踵へくっついて歩きながら頻りにぐずぐず云っている。「よくねえよ、グリゴリイ・ダニールウィッチ! よくねえ! 女を前線に据えるなんざ……そういうなあ……ふむ、女ってものはそういうもんじゃねえんだ。」 ソ・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ 先年或る実業家の夫人が子供をのせた車を自分が操ってある避暑地から東京へのかえりがけ、誤って崖から墜落した事故があった。そのとき新聞は、夫人が操縦していたということにいくらか刺戟的なものをふくんだ見出しをつけて書いた。あぶない真似をしな・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・小さい商売を定った顧客対手にしつつ、その間で金を蓄めようとする小売商人は根性がどうも立派でない。避暑地や遊覧地の商人と共通な或るものをもっている。その絶間なく小さい狡いことをされる顧客の大部分がまた過去に於てせくせく蓄めた金をもって引込んで・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
・・・あちらの学校はたいてい六月のはじめから三月位ありますので専門学校の女学生は夏季講習を聴く者と、避暑に出かけるものとに分れます。 避暑の方法はやはり日本と同じで海か山へ行くのですが、しかし海へ行くとしても只ゆくばかりでなく、いろいろな戸外・・・ 宮本百合子 「女学生だけの天幕生活」
夏になると、ソヴェトのピオニェールは、たいてい避暑にでかける。避暑といっても、ブルジョアの子供たちみたいに、おしゃれした母親といっしょに、海岸の宿やへ行ったりするんじゃない。 ピオニェール分隊が、景色のいい田舎や海べに・・・ 宮本百合子 「ソヴェトのピオニェールはなにして遊ぶか」
出典:青空文庫